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アウトプットのためのインプット

「お客様の目線になって、どこを除雪するか考えてください」

動物園の除雪バイトを始めて間もない頃、上司にそう言われた。
どこにでもある、サービス業の常套句である。


しかしながら、「お客様の目線になって考える」という行動は、決して簡単なことではない。

自分以外の人間の立場になって考えることは、想像力や観察力など、目に見えないパワーを激しく消費するのだから。

少しでも消費が抑えられるなら、それに越したことはない。


その手助けとなる方法の一つが、実際に自分がお客様になってみる(なりきってみる)ことではないだろうか。

僕の除雪バイトでたとえるなら、実際にお客様の導線を歩いてみる。
すると、
「ここは圧雪が坂になっていて滑りやすいな」
とか、いろいろと見えてくるのである。

そして、急な坂になっている箇所は角スコップで圧雪を階段状に変形させるなど、実際に対応した。

その結果、転倒したり危なっかしく歩いたりするお客様はかなり減少し、中には作業中の僕にお礼を言ってくださる人も増えた。
いやー、いい仕事したぜい。



「習うより慣れよ」という言葉がある。

人に教えられるよりも実際に経験することが大切である、という意味でよく聞くが、除雪バイトの件もまさにこのとおりではないか。

「お客様の目線」を誰かから説き伏せられるのではなく、自分で実際に経験したことで、より精度の高い「お客様の目線」になったのだと考える。


そして、ふと思った。

「習う」というのはインプットのことで、「慣れる」というのはアウトプットのことを指すのではないかと。

インプットばかりではなく、アウトプットありきで行動することが大切なのではないかと。

もちろん、インプットも大切である。
まったくの知識なしに行動に移すということは、泳げない人がいきなり海に落とされるようなものだ。
溺れないための体の使い方など、最低限の予備知識は必要だろう。

一方で、何時間も何日もかけて本や動画や指導などによって泳ぎ方を学んだとて、それで泳げるようになるかどうかは別の話。
実際に水の中に入るという経験がなければ、きっと泳げるようにはならないだろう。

実際に体を動かしてみて、できないところはまた調べるなり教わるなりして、学んだ後にまたやってみる。
これが、理想的なアウトプットとインプットの流れのように思う。

(水の中に入る前に、必要な知識を身につける(最低限のインプット))

実際に水の中に入って、体を動かしてみる(アウトプット)
↓↑
よりスムーズに泳げるように、動き方などをいろいろ試す(インプット)

ちなみにアルロンは、中耳炎により水中NGのため泳げません。


🏊


推しクリエイターの一人である【やひろ】さんが、先日「練習」の必要性について投稿していた。

拝読したところ、日本人には「練習神話」が根付いており、練習することで満足感を得ているのではないか、とある。
練習は本来手段であるのに、目的となってしまっているのだ。

そう考えると「練習をしてから実戦」するよりも「まずは実戦を経て、課題を見つけ、そのうえで練習」する方が効率的、と述べている。

まさに、「アウトプットしてからインプット」である。

※同じようなタイミングで同じようなことを考えていたので、シンパシーがパッシパシで嬉しくなりました。



僕自身、インプットの方が好きな傾向があると思う。

たとえば、資格の勉強を始めるとき、まずは参考書を買う。
そして、初めの方はそれなりに勉強するが、途中で飽きてやめてしまうのだ。

参考書を買って満足。ちょっと勉強して満足。

つまり、形から入ったことで満足してしまい、アウトプットにつなげられていない(もっと言えば、資格自体も持っているだけではあまり意味がなく、何かを成す手段として存在するのだと思う)。

それでは、ただの自己満足ではないか。


あくまでもアウトプットのためのインプットなのに、インプットだけで終わってしまっては本末転倒である。

何事も、
アウトプット=目的
インプット=手段
ということを、肝に銘じておきたい。


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