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「練習」は本当に必要ですか?

日本人ってけっこう「練習」が好きな国民だよな、と思う。

うちの近所にゴルフの打ちっぱなしがあるのだが、平日だろうと休日だろうとかなり混雑している。しかし、ゴルフをやっている人ならわかると思うのだが、ゴルフ練習場で練習した成果って、実際のラウンドでどのぐらい発揮されるのか、と疑問に思うときがある。

熱心に練習して、練習場では完璧に打てても、実際のラウンドとなるとそうはいかない。そもそも、練習場のように常に平らな地面で打てるわけではない。むしろ、斜面やラフからすごい姿勢で打たなくてはならないことのほうが多い。

本当の初心者がいきなりラウンドに行っても何もできないことはわかる。そもそも、ゴルフのラウンドにはそれなりにお金がかかるので、まずは廉価な練習場で練習することが必要だ、という考え方もあるだろう。しかし、お金の問題を抜きにしても、「まず練習が必要だ」という考え方は根強い気がしている。

この姿勢の発端はどこにあるのだろうか。学生時代の部活などが最初の刷り込みのような気がしている。とにかくボールを触るよりもまずは走り込みだ、みたいな。本当に初心者のうちは、「体力をつけること」は確かに重要なので、みんな特に疑問を持たずに言われたことをやっている、というところだろうか。

いったんゼロベースでフラットに考えてみて、「練習」って本当に必要なのか? と考えることが必要なのではないだろうか。ホリエモンはゴルフをよくするが、練習場には行かないらしい。すべて実戦のラウンドで上達しよう、という考え方である。お金があるからできることだとは思うのだが、らしいよね、とは思う。

ひとつは、日本人に根付いている「練習神話」がある気がしている。効果があるかはわからないが、とにかく練習を重ねることによって、満足感を得る、ということだろう。体力づくりは大切ではあるが、それはあくまで手段であって、目的になっても仕方がない。

練習が不要というのではなく、「真剣に勝つことを考える」のが必要なのかな、と。練習に真剣に向き合うとき、対峙するのは主に自分の忍耐力であり、どうやって勝つか、という部分に意識は向いていないように思う。要は、「練習をする」ことに意識が向いて、「勝つこと」に頭を使わなくなるのだ。

真剣勝負の場合、神経を研ぎ澄ませて、どうやったら勝てるかを真剣に考えるので、学びも深いのだろう。真剣にやってダメだった場合、何がダメだったのかの振り返りの密度も濃くなる。その反省を踏まえたうえで、それを強化するための練習をする必要があるのだ。

もしかしたら、練習をしてから実戦、という順番が間違っているのかもしれない。まずは実戦を経て、課題を見つけ、そのうえで練習したほうが効率がいい。

よく「失敗を恐れるな」という言葉があるが、まさにこれなのだと思う。「本番」で失敗したときにこそ、何がダメだったのかを考えるチャンスがあるわけで、意気消沈している場合ではない、ということだ。むしろ失敗がうれしいぐらいの気持ちじゃないと、本当に上達はしないんだろうな、と思う。

「少年ジャンプ」的な世界観が日本人の「練習好き」を助長しているのでは、と考えることもある。ドラゴンボールなどの作品では、強い敵を倒すために猛特訓をしたうえで実戦に突入し、「こんなに力がついていたのか!」と驚く、というシーンがある。一種のジャンプの様式美である。

しかし、実際にはそううまくいくことはなく、まず戦って、負けて、負けた要因を分析して特訓する、という泥臭いやり方が有効なのだと思う。ジャンプの世界はあくまで漫画の世界であって、現実世界はもっと泥臭い、ということだろうか。

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