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ウォータースライダーと消えた風呂桶

公務員の仕事は、公務のみにあらず。
地域のお祭りやアフターファイブの飲み会などにあれよあれよと駆り出されるのが、若手職員の運命さだめである。役場職員だった僕も例に漏れず、上司や先輩、地元の住民たちと親交を深めるため、ありとあらゆる会合に参加した。

中でも、職員組合の活動には割とたくさん参加していた。
職員組合を簡単に説明すると『職場環境を改善するため、さまざまな活動をする労働者の組織』といったところか。

組合活動というとお堅い印象を受けるかもしれない。確かにそういう面も少なくないが、楽しい面もたくさんある。
たとえば、近隣市町村の組合が集まる一泊二日の集会なんかは、経費で立派なホテルに宿泊できる。しかも、食事や宴会付きだ。
僕は専ら、集会の本旨ではなく手出し0での飲み食いを目当てに参加していた。


一年目のとある冬の日も、僕は仲の良い先輩のトモミツさん(仮名)と同僚のシュウジ(仮名)とともに、集会の開かれるホテルにやってきた。

今だから白状するが、どんなことを学んだかはまったく覚えていない。ホテルの料理や酒に舌鼓を打ったり、他組織にかわいい女の子がいないか探したりと、3人で煩悩具足ぼんのうぐそくの限りを尽くしていた。

そして、酒池肉林を後にした野郎どもは、大浴場へ向かう。
このホテルは温泉が有名で、広々とした浴槽や絶景を楽しめる露天風呂など、温泉好きにはたまらない施設である。
僕は温泉自体にさほど興味はなかったが、汗と酒でプンプン臭う体を洗うために、二人の悪友と裸の付き合いをすることにした。


全身を一通り洗い流すと、トモミツさんが不敵な笑みを浮かべながら、だだっ広い大浴場の奥を指さしていた。

「ウォータースライダーあるぞ」

指さす方を見ると、濃いめのブルーに彩られたウォータースライダーがそびえ立っていた。
実は、ウォータースライダーの存在は、別の先輩から聞いて知っていた。その先輩は、一緒に来ていた後輩にウォータースライダーを滑らせておきながらその様子を無視するという、ドS極まりないことをしていたらしい。

そんな話を聞いていた我々3人が、くだんのウォータースライダーを目の当たりにして何もしないわけがない。トモミツさんが、ニヤニヤしながら続けた。

「よし、まずはシュウジ行ってこい」

シュウジは3人の中で一番の先輩だが、トモミツさんや僕より年下だ。地方のちいさな役場なんてのは、年功序列が服を着てるようなもの。最年少のシュウジに白羽の矢が立ったのは必然であった。ちきしょう、と言わんばかりに顔をしかめながら、シュウジはウォータースライダーの階段を駆け上がっていった。

トモミツさんと僕がニヤニヤしながら待っていると、シュウジがスタート地点に到達したようだ。

「行きまーす!」

覚悟を決めたシュウジの声が、大浴場に響いた。その勇壮たるや、ガンダムに搭乗したアムロ・レイさながらである。連邦の白い悪魔は、素っ裸でウォータースライダーに飲み込まれていった。

ところで、このウォータースライダー、午後6時かそこらまでしか使えなかったと記憶している。僕らが入った時刻は午後10時を優に過ぎていたので、利用時間はとっくに終了していた。悪い大人の代表例なので、良い子は決してマネをしないように。

ということは、ウォータースライダーと名乗ってはいるが、今は水の流れないただのスライダー。
つまり、スライダー内は滑らかに進むはずがなく、肌が擦れてものすごく痛いのである。

文字どおり裸一貫のシュウジは、尻に生じる摩擦熱に時折「いてっ!」と叫びながら、とぐろを巻いた真っ青な筒からドッパーンと勢いよく浴槽に飛び込んだ。トモミツさんと僕、大爆笑。


「よし、次はお前だ」

ゲラゲラ笑うトモミツさんは、僕を指名した。僕はシュウジの失敗から学び、お湯の入った風呂桶とともに頂上を目指した。風呂桶の確保できる湯量などたかが知れているが、ないよりはいいだろう。

スタート地点に到達した。麓からトモミツさんとシュウジが「V字!V字!」と叫んでいる。どうやら、ただ滑っているところを見るだけでは飽き足らない彼らは、足をVにするポーズを決めろと言うのだ。
しかし、僕は人を楽しませたい性分である。エンターテイナーの血が騒ぎ、「最高にきれいなVを見せてやろう!」と奮い立ったのだから世話がない。

「行きまーす!」

二人目のアムロ・レイが発進した。先ほどとは違い、今度はお湯がある。後背部に右腕を回し、尾てい骨のあたりにお湯をかけた。はっきり言って焼け石に水だったが、擦れる尻をよそに僕はスライダー内を下っていった。

ドッパーンと吐き出された瞬間、僕は両脚でそれはそれは見事なVを表現した。トモミツさんとシュウジ、大爆笑。
僕は、ウォータースライダーを体験したことと、きれいなVを見せられたこととで、得にも言われぬ感動を覚えた。


ところが、感動の余韻に浸るのもそこそこに、僕はあることに気づいた。

「あれ、風呂桶どこ行った?」

そう、持っていたはずの風呂桶が見当たらないのだ。普通に考えれば僕と一緒にウォータースライダーから飛び出しているはずだが、浴槽にそれらしき影はない。
そこで僕は、トモミツさんに提案した。

「もしかしたらスタート地点に置きっぱなしかもしれないので、トモミツさん見てきてくださいよ」

先輩をパシリに使う、とんでもない後輩である。
けれども、そこは懐の広いトモミツ先輩、「え~しょうがないな~」と今日一のニヤけ顔でスタート地点まで駆け上がっていった。

しかし、頂上に着いたトモミツさんからは、まさかの答えが。

「なんにもないぞー!」

スタート地点はおろか、一望しても風呂桶はどこにもないと言うのだ。もはや怪奇現象である。
確かに僕は風呂桶を持ってスタート地点まで登った。滑り出すときにお湯をかけた。しかし風呂桶は、いつの間にか行方をくらませていた。

備品を紛失したのは良くないが、ないものはない。風呂桶の捜索を早々と切り上げた僕は、トモミツさんにその旨を伝えた。

「もう風呂桶はいいんで、滑って戻ってきてくださーい!」

とんでもない後輩である。
それでもトモミツさんはニヤけ顔のまま、リクエストに応じてくれた。両足もちゃんとV字をかたどっていた。


結局、風呂桶の行方はわからずじまいとなったので、この話は七不思議の一つとして後世まで語り継がれることとなるだろう。

風呂桶は消えてしまったが、この楽しかった思い出は消えることなく僕の中に残っている。


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