名前を覚えてもらうことは素直に嬉しい
少し前になるが、「目立つ」ことについての記事を読んだ。
この記事の中で、にうさんは「自分のことを誰かに覚えてもらうことが難しい」と話している。
加えて、「相手のことを自分は覚えている」とも。
拝読して真っ先に出てきた感想は、「これめっちゃ僕じゃん」だった。
僕もさしてわかりやすい顔つきではない方だし、著名人の誰それに似ているといわれることもほとんどない。至って普通の、何の変哲もない30代日本人男性である。
そして、人の顔を覚えるのが得意なタイプである。いつ、どこで、どんなシチュエーションで、どんな話をしたかなど、けっこう覚えていたりする。
自分でも驚いたのが、一時期めちゃくちゃ通っていた某すすきののスナックのキャストさんの名刺(40~50人分くらいあった)を見ただけで、顔や話した内容を思い出せたことだ(さすがにもうほとんど忘れたが)。
誕生日も覚えていたので、たまたま店に行くときに「あ、確か今日は○○さんの誕生日だったな」とケーキを差し入れしたら、大層喜んでくれたこともある。
しかし裏を返せば、初めましてではない人に「初めましてですよね?」と言われることも少なくない。「えーっと…実は前にお会いしていますね…」と返すこともしばしば。
これがなかなか悲しい。あの時間は夢だったの?僕だけ違う記憶を植え付けられてしまったの?そんな…そんなの嘘だ! 嘘だといってよ、バーニィ!
ところが、だ。
前述した某スナックの話になるが、そこのキャストさんたちは非常に優秀だった。
僕の顔と名前をしっかり記憶しているのだ。
これが毎日のように足繁く通っているのなら嫌でも覚えるのだろうが、僕が来店するのなんてせいぜい2か月に1回程度(札幌に住んでいない頃だったので)。1年以上空くことだってザラにあった。
そんな状況だったにもかかわらず、彼女らの多くは僕の存在をしっかり認識している。入店するや否や「あ~! 久しぶり~! 来てくれてありがとう~!」である。こんなん惚れてまうやろ。
とにかく、名前をなかなか覚えてもらえない身としては、こういう些細なことでご機嫌になる。
◇
少し飛躍するが、漫画『ONE PIECE』の名言の中に、Dr.ヒルルク(冬島編の回想に登場)のこんな台詞がある。
命が尽きても、その人のことを覚えていれば、その人は死なない。
逆に、忘れられてしまうということは、とんでもなく不幸なことなのではないだろうか。
冒頭のにうさんの記事の締めくくりは、「相手に覚えてもらいやすくするため、ビジュアルの工夫を考えてみよう」となっている。
覚えてもらえないことを嘆くのではなく、どうしたら覚えてもらえるかを考え実践することに目を向けている。
その手段の一つとして、服装についての言及があった。好きなものを好きなように着るのではなく、印象に残るような工夫をしてみようというのである。
なるほど、非常に勉強になった。
自分のことを覚えてもらうために工夫するということは、成長の第一歩なのだな。
僕もビジュアルに気を配ってみようと思う。
服は黒っぽいものばかりだし、髪も真っ黒。眼鏡のフレームも黒。フレームの種類はウェリントンだが、今やそれほどめずらしくもない。
髪色をブラック・ジャックよろしく右半分を白くしようか、眼鏡を成田悠輔よろしくアシンメトリーにしようか。
そう思った矢先、久しぶりのショッピングに浮足立ち、真っ黒のシアーシャツを買ってしまったので、先が思いやられる。
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