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泣きながら書いたエッセイ

まさか、大学のエッセイを泣きながら書くことが起こると思わなかった。書くのに集中したいのに、どうしても涙が止まらないのだ。


『あなたに会いたい』という韓国のドキュメンタリーがある。がんで亡くなった7歳の女の子ナヨンちゃんとその家族が、ヴァーチャル空間で再会する様子を描いている。ナヨンちゃんは原因不明の病と診断されてからわずか1週間でこの世を去った。あまりの短さに現実を受け入れられず、ナヨンちゃんとの再会を願う家族。その想いをうけて、韓国の映像プロダクションチームが、ナヨンちゃんの生前の写真や動画をもとに、デジタル技術を活かしてナヨンちゃんを”生き返らそう“と考えた。

チームはまず、生前のナヨンちゃんの写真や動画をもとに、ナヨンちゃんの3Dモデルを作成した。体つきなどを極限までナヨンちゃんに近づけるために、ナヨンちゃんに似た子役の身体をスキャンし、その体格にナヨンちゃんの特徴を合わせた。次に、家族がヴァーチャル空間でナヨンちゃんと再会するシナリオを考えるために、家族へのインタビューを行った。ナヨンちゃんの性格や好きなことなどを細かく聞き、家族がヘッドセットを装着してからナヨンちゃんとどう再会し、どのようなシナリオでヴァーチャル空間で時間を共にするかを考えた。当日、母親がヘッドセットをつけると、目の前に草原が広がっていた。ここから、ヴァーチャル空間でのナヨンちゃんとの再会がはじまる。

「ママ!ずっと会いたかったよ」と言いながら、物陰に隠れたナヨンちゃんが母親のもとに駆け寄る。生前のナヨンちゃんにあまりに似ていることに母親は感動し、ヘッドセットをつけながら涙を流す。「わたしもずっとあなたに会いたかった」と、ヴァーチャル空間のナヨンちゃんに声をかけるが、ナヨンちゃんはプログラムされたとおりにしか動かないため、母親の声を聞いて返事をすることはできない。「あなたにハグしたいわ」と母親が言っても、ナヨンちゃんは現実世界にはもう存在しない。

母親もそれはわかっているーそれをわかることに価値がある。ヴァーチャル空間で、ナヨンちゃんの言葉やシナリオがプログラムされていることで、母親はナヨンちゃんが現実世界にはもういないことを理解する。そして、ヴァーチャル空間でナヨンちゃんから「お母さん、悲しまないで」と声をかけてもらうことで、母親がナヨンちゃんの死を現実として受け止め、残された家族と前向きに新しい一歩を踏み出すことは、ナヨンちゃんの願いでもあると理解できるのだ。

物語の途中でナヨンちゃんは、母親に自分と手を重ねるようにお願いする。母親が(ヴァーチャル空間で)手を差し出すと、ふたりは地を離れ空を飛び、雲の上にあるナヨンちゃんの部屋に辿り着く。ふたりはそこで、ナヨンちゃんの7歳の誕生日を一緒にお祝いする。母親はヘッドセット越しに、ナヨンちゃんがうれしそうに誕生日ケーキとご馳走を食べる姿を見ている。そこでナヨンちゃんが食べているわかめのスープは、生前のナヨンちゃんが大好きだった母親の手料理である(そしてナヨンちゃんはヴァーチャル空間でも、それがお気に入りなのである)。テーブルの上にあるお餅は、ナヨンちゃんが大好きだったお菓子で、闘病中のナヨンちゃんが、もし退院できたら家族と食べるのを楽しみにしていたのだという。

映像の制作を手掛けたプロダクションチームは、この作品を「解釈を入れず、生前のナヨンちゃんのこと(事実)にフォーカスして作る」ことを目指した。その成果として母親は、7日間の闘病生活の末息をひきとったナヨンちゃんと迎えることができなかったエピローグをヴァーチャル空間で体験した。そしてそれは、母親や家族にとって、ナヨンちゃんの死を受け入れ前へ進む、新しい物語のプロローグでもあったのだ。


というのを、僕は大学のライティングの授業の課題で書いた。デジタル世界が「死」というコンセプトをどう変えていくのか?というテーマについて、このテーマのもとになっているエッセイと、僕が選んだ素材(『あなたに会いたい」)の内容を絡めて、4-5ページで論じなさいという課題だった。この続きには、死後にデジタル空間で人を復活させることの倫理観を議論するが、それはまた別の機会に書くとする。

母親がナヨンちゃんとヴァーチャル空間で再会している様子は、YouTubeで観れるので、ぜひとも観てもらいたい。エッセイを書くためにこの動画を10回は観たが、何度見ても涙が出てくるほど素晴らしい。まさか大学の図書館で、泣きながらパソコンの画面に文章を打ち込むのを経験するとは思わなかった。。。

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