fitari8のコピー

【連載小説】ふたり。(8) - side K / A

前話

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

…この話は、ほとんど誰にもしたことはないんだけど。

私には、兄がいたらしい。
名前は、「薫」だったらしい。

会ったことも、写真を見たこともない。

私が生まれる前、兄は流れてしまったから。

誰のせいでもないと思う。
当時の両親は、若く健康だった。確率としては15%という高さで、誰にでも可能性があることらしい。
でも、母も父もそれぞれ自分自身を責めた。まさか自分たちが、どうして、どうすれば…と。

天国の兄につけるはずだった名前をもらって、両親にとって待望の子どもとして、また祖父母たちの初孫として、私は生まれた。

小学校を卒業した頃、それらすべてのことを母方の祖母から聞かされた。

思春期に入って、好きな人ができた。
相手は、女の子だった。

別に男子が嫌いなわけじゃない。「好きになってみよう」と努力したこともあったが、どうしても恋愛対象として見ることができない。

写真部の先輩におかしな人がいて、私の不登校のきっかけになったけど、男子全員がああだとは思わない。

それから、別に男の体になりたいとも思わない。
私は、私のまま女の子に恋をする。

頭では解ってる。
普通の恋愛のかたちも、両親がお互い好き合って一緒になったことも。そして、たまたま私の心がそれに当てはまらないだけだと。

小学校のときから、なんとなくクラスメイトと話がズレていた。友達付き合いは、内向的な性格のせいでずっと苦手だったが。
女子が女子として色めき始める10代の始め頃、ひとりのクラスメイトがとても綺麗に見えて、一緒に居たくて、たまらなくなった。

その想いは結局、その子の彼氏の登場によって叶うことはなかった。
そして、自分が「そっち」なんだと自覚した。

ある時、同じような人達は世界中に大勢いるけど、いまだ世間から良く思われてないらしいと知った。

心中穏やかでない日々を送っていたある日、両親の過去と、生まれて来なかった兄の存在を知った。

これ以上、両親を悲しませたくはない。
やっと授かった子が「普通」じゃないなんて、ショックに決まっている。
だから、恋心を打ち明けることはできない。

それなのに、私は。

(普通の)恋愛どころか、友達もほとんどいない。
人間関係をこじらせて、まともに通学もできない。

お医者さんやカウンセラーの人は、そんな風に考えなくていいんだよ、と言ってくれる。
いろいろな対処法や、気持ちが楽になる考え方を教えてくれるので助かっている。
でも、肝心なことはまだ誰にも伝えられないまま、見えない塊が喉の奥に引っかかって取れず、上手に息ができない。


私は時々、空に想いを馳せる。

透明な兄「薫」は、私「薫子」の半身であるとともに、いわゆるイマジナリー・フレンドのような存在でもあった。


お兄ちゃん。

そっちはどう?

誰か、いい人はいる?

きっと、可愛い女の子だろうね。


私もね、見つけたんだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

6月8日 18:52 - 澤井邸・ダイニング

中学時代の親友からの突然の連絡に、私は半ばパニックになっていた。
呼吸は浅く、鼓動は速く、体が震える。発作の前兆。椅子にもたれかかり、深呼吸をする。

続けざまにスマホがヴーンと唸る。

待って。今は無理だから。
ごめん。ごめんね。ごめんなさい。

吸って、2、3、4。
止めて、2、3、4、5、6、7。
ゆっくり吐いて、ふうう…7、8。


この呼吸を何度繰り返したことだろう。

若干落ち着きはしたが、体はまだ言うことを聞かない。

玄関から物音がする。母が帰ってきた。じゅんちゃんを無事家まで送り届けてきてくれたみたいだ。よかった。
そう思うと、少し気が楽になった。


「ただいま…!? かお、大丈夫!?」

うん。大丈夫だよ。
頭の中で唱えるだけで、体も動かせないので返事ができない。

椅子に座ったまま母に目配せする。

「横になりなさい。一度立てる?」

母が手を握る。私はゆっくり、ゆっくりと立ち上がる。ふらつく体を引きずり、ソファに倒れこんだ。

参ったなあ。
これじゃまだ留守番もできそうにないや。
つくづく親不孝な娘で、ごめんねお母さん。

母がタオル地の毛布を掛けてくれ、私は大きく息を吐き出した。

軽く咳き込む。

「買って来といてよかった…、はい。」

そう言って、母がスポーツドリンクをソファに置いてくれた。600mlのペットボトル。病院でも水分補給が大切だと言われてたっけ。

「今日はもう無理しないで、早めに休みなさいね」

母はそう言って、洗い物を始める。

「うん… 少し休んだら、部屋に行く…」

スマホはポケットの中で静まりかえっていた。

部屋に行く前に、ポケットから取り出して一目通知を確認する。


メッセージ
早坂 あかり:ごめんね、かおちゃんが学校来てないの、知らなかった。無理に返事しなくていいからね。お大事に。


確かに、あかりんからだった。

動揺することなんて、何もなかった。

彼女と過ごした時間は決して多くなかった。でも、彼女が隣にいると、少なくともその時だけは、自分をごまかさなくてもいいんだと思えた。
誰に対しても優しくて人気者の彼女にとって、私は大勢いる「友達」のひとりだったかもしれない。
それでも私にとっては、心地よい距離感で付き合える、数少ない「親友」だった。


気がつくと、発作はもうほとんど治まっていた。

私はスポーツドリンクで喉を潤し、歯を磨いて部屋へと向かった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

6月8日 19:48 - 早坂邸・あかりの自室

ああ、
とうとう送っちゃった。

返事、来ないよね。

あたしは何度もスマホを確認している。

かおちゃん、どうしてるの?


別に、あたしが校内放送で公言したからって、仕方なく送ったわけじゃない。本当に気になってる。

あれから1週間、保健の岡崎先生や、芸コーの忍足先生に、不登校についてさりげなく色々と訊いてリサーチしていた。
忍足先生は「澤井のことだな」と言って、その後色々と教えてくれた。

うちのクラスのナオちゃん先生にも相談してみた。だけどこんな風に言われちゃった。

「早坂すまん!私が高校の時は、クラスに不登校のヤツがいなかったんだ。だから今はいいアドバイスが思いつかん!悪い!」

だって。潔いっていうか、ナオちゃん先生らしいよね。


1週間悩みに悩んで送ったのが、あの短い文章。
言葉を考えるのって、やっぱり難しい。しゃべる分にはいいんだけど。

あの時、中3の雨の日、かおちゃんから電話番号だけでも聞いててよかった。

ああ、でも、このモヤモヤを抱えて土日を過ごすのはキツい。スマホが気になって、テスト勉強も手に付かないかも——


♪♩♪♬♫♬〜


「えっ?」

この音は電話だ。誰から?

まさか。

スマホの画面を覗き込むと、


かおちゃん

わっ。えっ?

あわてて「応答」を押す。

えっ?かおちゃん?
大丈夫なのかな?

「…もしもし?」

ああ、緊張する。


《……………あ、あかりん…?》

小さな声がする。
確かに、かおちゃんの声だ。

「かおちゃん。久しぶり、だねえ」

かおちゃんは、電話の向こうで小さく笑ったような息遣いをした。


《ほんと、久しぶり……》

ああ、なんだか中学校の頃に戻ったみたい。

小柄でおとなしかったかおちゃん。でも、心の中には誰よりも熱い気持ちを持ってた。
声から面影を想像する。
やっぱり、昔よりだいぶ元気がない気がする。

「電話で大丈夫なの?」


《うん…話したいことがあって…》

あ、これは大事な話があるパターンだ。
あたしは姿勢を正した。

「いいよ。なんでも話して。」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

6月8日 20:20 - 澤井邸・薫子の自室


…気づけば私は、あかりんに打ち明けていた。

言いたくても言えずに、心の中にしまっておいたこと、全部。


はじめは、自分が学校に来なくなったことを謝りたいだけだった。
それなのに、ひとたび話し始めると、頭も、口も、涙も止まらなくなってしまった。

一通り話し終えて、今はただ、涙と嗚咽を漏らしている。


まったく、今日はなんて一日だろう。

口に出すのがあんなに怖かったのに。


あかりんは、ずっと落ち着いた声で相槌を打ってくれていた。

そのことがありがたくて。
自分が嬉しくてこんなに泣けるなんて。いや、むしろ物心ついてから、ここまで涙が出た記憶がない。

父はもう帰ってきただろうか。
下に音が漏れないように、声を殺して、さめざめと泣き続けている。


《大丈夫だよ。泣き止むまで、泣いていいからね。》

その言葉で、私の涙腺はまた刺激された。


話したことに後悔はない。
むしろスッキリした。
全部、ずっと話を聞いてくれたあかりんのおかげだ。


写真部で遭った仕打ちと、現在の症状。

じゅんちゃんを、恋愛対象として好いていること。

自分自身の恋が普通じゃなくて、ずっと苦しいこと。

そして、薫という名で生まれてくるはずだった兄のこと。



《かおちゃん。》

「あぐっ…ふっ…ううっ…」

あかりん、ありがとう。
泣いてばっかりで、全然しゃべれなくてごめん。

《そのまま聞いてね。
私、かおちゃんのこと何も知らなかったなあって、こんなにも大変な思いしてるんだって。》

病院の先生たちから面と向かって言われるより、電話越しのあかりんの言葉の方が、すっと心に染み込む感じがする。

《かおちゃんはいつも闘ってたんだな、って。やっとわかった。
ありがと。こんな大切な話、してくれ…》

あかりんの声は震えはじめ、やがて言葉が止まった。
代わりに、小さな嗚咽だけが聞こえてくる。



私たちは、そのまましばらく一緒に泣いていた。


(つづく)

次話

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

第8話あとがき

ようやく薫子に真の理解者が現れました。かおちゃん、よかったね。

いや、まさか自分で書きながら涙が出てくるとは思いませんでした。書く時にはそれなりにキャラに感情移入することを心がけていますが、やはりそれだけこのエピソードは彼女たちにとって重要だったということでしょう。

今回は比較的短いエピソードですが、それはこれ以上続きが書けなかったからです。私の力量不足です。一旦次話まで話を練ります。

薫子はこれから、何かしら変わっていくのか。
純との関係はどうなっていくのか。
作者にもまだ道筋がわかりません。
彼女たち自身が決めていくことであり、作者はそれを追いかけることしかできないと思っています。

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