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銀河哲道の夜(3)

参院選が終わってもう一ヶ月が経とうとしているが、今回の選挙で話題になったのは、やはり「NHKから国民を守る党」(N国党)の代表の当選だろう。色々と物議を醸しているニュースだが、ぼくがこのニュースで感じたのは2つだっだ。

ひとつは、マーケティングを強く意識させられる参院選だったという事実。立花孝志氏率いるN国党が躍進した理由のひとつは、彼らの中で巧みに練られた、そのマーケティング戦略にあったのではないかと思う。一貫した主張とイメージ戦略、YouTubeやTwitterなどのSNSでの拡散や、政見放送でのパフォーマンス、そして、「NHKをぶっ壊ぁす!」といった脳裏に染み付きやすいキャッチフレーズは、まさに、「認知」や「記憶」といった顧客育成の段階で効果をあげる方法だったのではないか。

2016年のアメリカの大統領選挙ではトランプ大統領の陣営が選挙に際してデジタルマーケティングを最大限に活用しており、その報酬額は100億円だったとも言われている。今回の参院選は、「マーケティングは選挙をも左右する」と、日本でも強く認識させられた選挙だったのではないかと感じた。

もうひとつは、「NHK」という組織の特殊性、そして、重要性についてだ。NHKは、正式には「日本放送協会」という。この組織の存在理由や意義といったものは本当に複雑で難解だ。ぼく個人の結論からいうと、「独立、かつ、中立で、万人に対して平等な情報の提供」を実現することを目的とした組織・機関は必要だということ。まぁ平たく言えば、「公共放送」は必要なのだと思う。ただし、それがNHKであるべきなのか、あるいは、NHKは「公共放送」に相応しい番組を作成しているのか?という点については、正直わからない笑

でもやっぱり一番の疑問・不満は、NHKを見ない人も、テレビを所有してたら、受信料を払わないといけない、っていうところなんじゃないか。この疑問(憤怒?)への答えを炙り出してみると、それは「公共放送」を「公共」放送足らしめるため、なのだと思う。これは、ひいては、ぼくらの自由や平等、あるいは主権などを守ることに繋がっている。

自分でも何いってるかわからなくなってきそうだが、例えば、「正確な情報」はぼくらにとってはとても重要だ。台風の進路や、今日の天気、政治動向など、これら情報が信用できないものだったらぼくらの生活はとても不便なものになってしまうだろう。また、こうした情報の取得可否に格差があれば、それは直に、不平等な社会の実現に繋がってしまう。更に悪く考えれば、こういった情報が、誰かによって作為的に操作されているとしたら、それはぼくらの選択や行動が制限されてしまっているということに等しい。

こうした事態が起こらないようにするために、公共放送を提供する機関の存在は、法(憲法?)の下で守られべきであることは勿論、実際の運営も公共性を遵守させるよう維持されなければならない。後者の「公共放送提供機関の実際の運営の維持」を守るために、テレビを持っている人は、その見る、見ないの意志に関わらず、受信料を払わないといけない、っていうロジックなのだと思った。受信料を払う人と払わない人の間でも格差が生まれないように、っていうことだろう。

じゃあ税金で取れよ!っていう意見もあるけど、税金だと「国家」っていう一組織に依存しちゃうから平等が担保されないとかっていう理由でダメなのかなぁって思った。あとは税金だと、個々人で払う額が同じにならないからっていうのもありそう。

でもこれは本当に難しくて、現実問題として、NHKなんかなくても、自分は他の番組やネットとかで正確な情報取れてますんで、っていう人にとっては、やっぱりNHKって要らないんだよね。あとテレビ持ってる持ってないの線引きも結構謎笑。実際見ないのにお金払うって、やっぱどんな説明されても払いたくないよなぁって思ってしまう。

結論、公共放送の受信料制度のあるべき姿は本当に難しい。なので、こういう問題については、より深く・広く、議論し続けることが大事な気がする。そんなことを一人考えてたらNHKのニュースが始まった。そんな夏の夜。


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