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父からの電話で気付いたアドラー心理学の“援助と勇気づけ”

アドラー心理学を世に広めた本と言われる『嫌われる勇気』.この本に出会って以来、日々実践を繰り返し、本を読み返し、実践し、、、を繰り返す中で理解を深める一方、確証がなく、手探りで答えを見つけようとしていることもある.

・原因論と目的論
・人生のタスク
・課題の分離
・共同体感覚
・自己の執着と他者への関心
・自己受容、他者信頼、他者貢献
・自立、援助、勇気づけ  ...etc
キーワードとなる言葉はPickupされる場面も多いため、広く知れ渡っていると思う.

その一方で、これらの概念をどれほど理解し、実生活に活かせているか?と振り返ると、躓く場面が多いのではないかと予想する.
例えば私は、「今のわたしの存在(対応や態度)は、相手にとって自立を促す援助になっているのだろうか?」と自問することがある.そして大抵、その答えは出ずに終わる.

私はあの人のことを想っている. 私に出来ることがあれば手を貸したいと思っている. しかしあれこれ言うべきではなし、あれこれ手を出すべきではない. 口出しもしず、手も出さないでおこう. これでいいのだ、これがいいのだ.... ???
(ホント?)
と思っていると思い込んでいるだけで、
本当は関わらないようにしているだけなのかな?
いや、私はあの人のことを想っている.....の無限ループ...

そんな私が、最近たまにかかってくる父からの電話によって気づいた、『自立に向かう援助』『援助になる勇気づけ』があったので記しとく.


私は名古屋で一人暮らしをしている.名古屋に移住してから1年くらいは、お盆もお正月も帰らず丸々1年以上、敢えて実家と距離を置いていた時期もあった.日頃は両親に電話もメールもしない.実家に帰っても特段何も話さない.そんな状態だったんだけど、最近は月に1回程度は実家に帰るようにしている.そして、家の片付けとささやかな会話 -仕事の事、畑の事、我が家に入り浸っている野良猫親子の事、ニュースなど- をして、また名古屋に戻ってくる.そんなことを繰り返していると、私が名古屋にいる時に、たまに父から電話がかかってくるようになった.

最近よく(といっても月に1,2回程度だけど)電話があるなぁとぼんやりと思ったときに私は気づいた.

『父から見た、私と父の心的距離が近づいた』のだと.
そして更に付け加えると、
『私から見た、私と父の心的距離は何も変わっていない』だ.
(★今回のお題のミソはここ)

30を過ぎても相も変わらず、頼りない私だけど、昔も今も、私は父のことを大切に想っている.私は父の娘だし、娘としての責務を放棄するつもりはない.

けれど、父は全く違うことを感じていたかもしれない.もう娘は帰ってこないのだと.自分は今の土地で、ただ老いていくだけなのだと(これ勝手な想像ね).

今まで、“父から見た、私と父の心的距離”はきっと遠かったんだと思う.
何処へ行くのか、何をするのか、何を考えているのか、さっぱりわからない娘...(そりゃ遠い存在だよね...笑)

気持ちが一方通行の援助は援助になり得ない.
相手にとって存在しない存在は、勇気づけになり得ない.
結果、私の声は届かない.

15歳で実家を離れ、お互いうやむやに過ごしてきた私と父.
親子関係の第2ラウンドはようやくスタートするのかもしれない.

親子だけど、お互い”自立した(自立に向かう)大人”として、援助し合う関係 -共依存じゃない、健全な関係を築くチャンスを手にしているのかもしれない.

Let's enjoy!

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