Mars
引き寄せの法則・瞑想・スピリチュアル・・何かを良くするため、不快な思いをしないために色々勉強し実践してきた数々の方法。 それなのに一向に現実は変わらない。そしていつも悩んでいる。 そんな方のために、元も子もないけれど心が軽やかになるたった一つの真実をお伝えします。
出来事にはたくさんのヒントが隠されています。 それを読むか無視するかは人生に大きく左右すると感じています。 私の普通の毎日、日々の生活から見る深い話を共有していきます。
絶対的安心感て、結局「愛」だと思います。でもそれは目に見えるものではなくて感じることしかできないもの。 そして安心感があるということは不安もあり、愛と対義になるものも必然的にセットされますが、それすらもすべてひっくるめたものを「愛」とここでは指しています。 愛について。を書いてます。
「色即是空/空即是色」と「インド占星術」幼い頃からとても繊細な面と、いつもどこかに何か違和感がありました。 思うこと、こうなると感じることが本当に現実になるという摩訶不思議がことあるごとに起き、それを追求していた時期もありますが、今は追求する主人公側ではなく、出来事を丸ごとゲームとして見る側になっています。 「私」という人生ゲームの中で、友人が学んでいた「インド占星術」に出会います。 以前から不思議に思っていたこと、私の人生ゲームの中で、なぜかこれだけは運がいいと思うこと、
「どうでもいい」を求めていることに気づけない。あらゆること、人は、既に全許容、解放されているから、そこに辿りつく必要がない、もうすでにここ。自我ベールの一歩前の、全解放されているここ。
ノンデュアリティを発信している人は沢山いる。 その発信内容を聴けば、読めば理解はできる人もいる。 その理解上でそれを手にしたように感じてしまう人がいる。 ノンデュアリティさは理解ではないのだけど、理解のうちはそれが理解できない。 理解。 それ、「私」がまだ存在していて、肩に力入ってる状態。 理解できた時点で、それを手に入れたように感じて、 「そうか、起きてるだけだ」・・ にしてしまう。 そういうことではないのだけど、 起きていることに抵抗しても仕方ない、 私がし
ノンデュアリティさを表現する時に、「無条件の愛」とそれが同じと書く場合があります。 今すでに無条件ですべてが許されているから、ノンデュアリティさは無条件の愛 とそのままを伝えています。 ただ、ここで私たちが生きているのは二元の現実です。 二元というのは、二つに分かれていることです。 暑いと寒い、高いと低い、希望と絶望・・等の相反する二つのものがある世界で私たちは生きているということです。 その良し悪しではなく、私たちが生まれて成長する過程の中で、それをごく自然に教えられ身
人それぞれの「人生」といわれるもの。 それは「私の中のストーリー」。
一瞥体験は起こるときには起こる。 私に起きた一瞥体験は、恍惚と表現すれば良いのか、正確に伝えることはできないけれど、絶対的安心感「ザ・至福」的な感覚だった。 すべてがなく、一体感、子宮の中の赤ん坊とでも言おうか、涙が溢れて止まらなかった。 一瞥体験を悟りを得たとか、到達点や目指すところにしてしまう人もいるけれど、それと解放は全く別。 一瞥体験はただの「私のストーリー上の一時的体験」であり、それは継続しない。 ただしくはいつも一瞥の中にいるけれど、「私の感覚」としてそれを味わ
無限の赦しの中で、何も必要なく、あらゆるすべてが沸き起こってる。 得るものも辿り着く場所もない。 愛は無と同じ。
私は瞑想をしない。「無の状態を創る」ことがどうしてもできないから。 0になりたい為の1をわざわざ創り出すみたいな矛盾が苦手だ。 なぜなら、既に無であり瞑想状態だから。 私だけではなく、すべての人がすでに瞑想状態。だけど、それに気づけないと「瞑想しましょう」となる。 でも瞑想をすると、自我のない状態を意図して作ることも起きる場合があると思うから、勧めるのはわからないこともない。 が、自我のなさ(考えのない状態) って、実はもう既にここにある。 その中に私たちはいる。 私た
二極の中にいる私たちは、不思議なことにどちらかを良いとか悪いとかをジャッジする癖がある。 二極なのにどちらか という反応が起きやすい。 そのジャッジは自分の脳の中で起きている。 そしてそのジャッジに苦しむ。 他人と自分を区別しているそもそもは、生きてきた中で得てきたように思えている知識や一般常識と言われる概念からきている。 そこから「自分にマッチしているもの」を採用していて、それを「良い」と捉えている。 自分AIが自然に作られてきてしまった。 でもそれは自分が創ったわけで
最近、私の周辺で起きた待ち合わせのしかた について。 私は日にちが決まれば、あとは前日に待ち合わせを決めるパターンが心地よい。 それか数日前にだいたい何時くらいというメドがあれば、それぞれがそのメドに合わせて、それぞれの都合を合わせてくるような感じとか。 例えば〇月〇日と日にちが決まっていて、 私としては「その日はデパートで買い物しているから、周辺に着いたら連絡してもらって待ち合わせ場所をきめよう!」と伝えたとして。 ランチの約束をしているのだが、レストランはデパート付近
同じ生年月日で生まれたのに、なぜ違う人生を歩むのか。 これについて、ノンデュアリティとしてではなくインド占星術の観点で書いてみます。 これが正解!と確実に断言するものではありません。 まずインド占星術には生年月日と出生地、出生時間に基づいた出生チャートの他に、潜在意識を見るチャートがあります。さらに、各要素を見る分割図が存在します。 各要素とはおもに、配偶者、両親、子供、仕事、学業、精神性、住居や不動産etc. 分割図は、本当に正確な出生時間がないとそのチャートが正確
もし過去の自分に声をかけるとしたら。 自分にただ素直にいればよくて、頑張るとか、追い求めなくても大丈夫と言いたい。 てことは、今もこれからも同じ♪
幽体離脱は私はできないので、実体験としてそれを表現することは残念ながらできません。 知識として想像するには、寝ている時に体から魂(と一般的に呼ばれるようなもの)が身体から抜け出して、あちこち浮遊?空間旅行?テレポーテーションみたいなことが起こる ことを指していると思われます。 直感は、なぜかわからないけれど「ふと」確信のようなものが思い浮かぶこと。 シンクロニシティは共時性と言われる、Aさんのことを考えていたらAさんからLINEが来たとか、そういう偶然の一致的なものを指し
ほとんどの人が、いいねやスキを求めて、耳障りの良い心地よい文章を投稿する。 ここに書いているのは、その逆。 誰もが求めてやまないものを提示するのではなく真逆。 求めてやまないものを得られるかのような文章が、みんな大好き。 当然。もうどうしようもなく当たり前。 誰もが自分が幸せになるための何かを求め続けている。 それが探求。 誰もが求めているものを書いているのだけど、誰もが聞きたくもないこととなるこのパラドックス。 笑えるくらい普通なのだけど、ほとんどの人にはわからない
前記事の占星術の続き。 それぞれの個性として、生まれ育った環境・職業・経済力・悩み・・様々なものがキャラクターに当てがわれている。 その中で、才能とか得意分野と言われているもの。 芸術分野・科学分野・スポーツ・料理だったり、人によっては思考だったり、優しさなんていうのもそうかもしれない。 美しい顔を持つことも、体を使うモデルさんも持って生まれた、誰もが持てるものではない力の一つだ。 そう書くと、どれも持っていない という人も出てくる。 それは可もなく不可もない平均点なの
どうなんだろう。 こればかりは誰にもわからないだろうなぁと思う。 占星術(私の場合はインド占星術)をしていると、本当にびっくりするくらい、人生は決まっているのではないか・・としか言いようがない に着地してくる。 ただ、365日毎日毎秒とかそういう細かさではなく、輪郭と起こることがなんとなく決まっている とは言えると思う。 あと、個人のキャラクターは生年月日と出生時間がわかればおおよそ見えてくる。 キャラクター設定は決まっている として キャラクターが決まっていれば、選択す