雨上がりに消えたキミ

 雨は、人を臆病にする。僕は、世間からはみ出すことに慣れていない。多分、それは君も同じだ。

「苅谷君、お願い」
 店長が慌ただしく、動き回る。店に入ってきた観光客は、突然の雨に、皆、疲労の色を隠せない。僕は、店の奥からタオルを数枚持ち出した。
「いやぁ、助かるよ」
 僕は、客にタオルを差し出すと、お茶を運ぶ店長を手伝った。1円にもならないことでも、店長は嫌な顔一つしない。いつもは無口で仏頂面なのに、人の良さはこの町では一番だろう。
「せっかくお参りできると思ったんだけど、これじゃあねぇ」
「もう少ししたら、多分、雨もやみますよ」
 客も、店長の言葉にホッとしたようだった。
「あ、苅谷君、配達、代わりにお願いできるか」
 時計は、12時を回っていた。僕は、慌ててレインコートを着ると、店先に向かった。雨は、さっきよりも少し小降りになっている。頬をつたう雨は、夏の暑さをかき消すのにはちょうど良かった。
 店先に置いてある自転車の鍵を外す。ビニール袋に包まれた和菓子を、僕は、荷台にしっかりと結びつけた。ふと、向かいにあるカフェの窓辺に人影が映る。窓辺に佇む君は、僕の視線に気がつくと、すっと姿を隠した。

「夏休みだけ、親戚の店番を手伝うことになったんです」
 去年の夏、君は僕にそう言った。肩まで伸びた髪は、僕と違って、どこか大人の匂いを感じさせた。「藤原さんのところの娘さんか」
 君に初めて会ったあの日、店長は、浮かれた僕に釘を刺すように視線を向けた。
「あんまりいい話は聞かないね。確か、苅谷君と同い年だったんじゃないか」
 年齢を聞いて、僕は少し驚いた。寂しそうな雰囲気が、若さとは違う色気のようなものを感じさせた。それから、僕は店長に内緒で何度か、君に会うようになった。

「吉田和菓子店です」
 坂道を5分ほどくだると、住宅街の端に美容院がある。ドアを開けると、客はおらず、奥から美奈子さんが出てきた。
「雨の中ごめんね。助かったわ」
 美奈子さんは、僕に代金を渡すと、コーヒーを飲んでいくように進めた。
「客足、戻ってきてるようだね」
「えぇ、去年よりは、大分違うみたいです」
「苅谷君は、大学卒業したらどうするの?」
「そうですね、できたらこの町に」
 店長は、僕に目をかけてくれている。長男夫婦は、県外で暮らし、娘さんも昨年、となり町の旅館の跡取りと結婚した。
「奥さんを亡くしてから笑わなかったあの人が、苅谷君のことだと顔をほころばせてね。自分の息子みたいに思ってるんじゃないのかしら」
 忙しい両親のもとで暮らしてきた僕にとっても、店長は、第2の父のような存在だった。
「藤原さんのとこのあの子には、気をつけてね」 
 美奈子さんは、僕に念を押した。

「誰か!警察に連絡して!」
 去年の夏の終わり、この町は騒然とした。
「るり子さん、落ち着いて」
 和雑貨店のるり子さんの手には、包丁が握られていた。
「あの子!出しなさいよ!」
 騒ぎを聞きつけ、店長が真っ先に店の外に出た。僕もすぐ後を追う。カフェから出てきた君は、人だかりにも屈しない表情をしていた。
「私の旦那に手を出すなんて!」
 るり子さんが、近づこうとした時、人だかりから悲鳴があがる。
「やめんか!」
 和雑貨の店主の守さんが、険しい顔をして止めに入った。守さんは、皆に頭を下げて回っていた。
「これは、俺らの問題だ。夏菜ちゃんは関係ない」
「関係ないことなんてない!昔から私はこの子の母親も嫌いだったのよ。泥棒猫の子は、泥棒猫よ!」
 るり子さんは、店長と守さんに取り押さえられ、泣き叫ぶようにして、坂を下っていった。騒ぎは、すぐにこの町に知れ渡る。るり子さんは、あれ以来、体調を崩したと聞いた。あの日から、僕は、君と会わなくなった。

「私ね、夢があるの。子どもと愛する人と、幸せに暮らしたい」

 あの時の僕は、君が話してくれた愛する人が僕であると、確かめる勇気がなかった。

「苅谷君、雨の中、ありがとう」
 店に戻ると、先ほどの観光客はいなくなっていた。
「雨が小降りになったから、上の神社に行ったよ」
「それはよかった」
 僕は、美奈子さんの代金をレジに仕舞うと、店長の片付けをすぐに手伝うことにした。 
「雨が上がりましたね」
「ひどい雨だったなぁ」
 雨音は止んでいた。窓の外を覗くと、僕は君と目があった。大きなキャリーバッグを引く君は、僕から視線を外さない。
「苅谷君、お客さん」
 奥から店長の声がする。店長に返事をした僕が振り返ると、もう君の姿は消えていた。君の目は、何を伝えたかったのだろう。窓の外では、雨がまた、強く降りだしていた。

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