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大人になれない僕たちは 第6話 月の音色と星の砂

 慌ただしく過ごすのは、いつぶりだろう。1話を書き上げるのに残された時間はあまりない。出来上がりを、今か今かと待ちわびるスタッフの顔が頭をよぎる。初稿を送信すると、すぐに電話をかけた。スタッフの安堵する様子が、電話口からリアルに伝わってくる。

 恋愛ドラマを書かせたら右に出るものはいない。私は、随分とおだてられ、気がつくといつのまにか裸の王様になっていた。視聴率が思うように伸びなくなると、周りはあっという間に離れていった。私は、しばらく筆を置いて自由気ままに過ごすことに集中した。こんな時代になって、久しぶりに書きたい、そう思うようになった。

 原作もののアレンジは、何年ぶりだろうか。オリジナル作品しか書かないと思われていたのか、オファーをすぐ引き受けると、スタッフ達は、皆、驚いていた。

「よろしくお願いします」

 今回のドラマは、数人のアシスタントがついた。平行して2話、3話目を書かせる。脚本はチームで書くもので、今は1人で書き上げる方が珍しい。それは、私も承知の上だった。

「ちなみに…、まぁもしあれでしたら、このままこちらでっていうのでも」

 1話目の直しのために集まった会議で、スタッフは遠慮がちに言った。私の名前だけが欲しかったということか。思わず声に出そうとして、言葉を飲み込んだ。もう、私の名前にブランドはない。

「1話の原稿、面白くなかったですか」

「いいえ、とんでもない。さすが中川先生です」

 スタッフは、皆、作ったように笑う。私は、少し直したいからと時間をもらうことにした。

 皆が帰ってしばらくすると、1人の青年が原稿を手に訪ねてきた。杉本と名乗るその青年は、時間を間違えてしまったと申し訳なさそうに頭を下げた。 

「それ、読ませてくれない?」

 他人の作品に興味などない。でも、彼の作品を呼んでみたくなった。何かにすがりたかっただけかもしれない。杉本は、素直に原稿を手渡した。

 彼の作品は、独特だった。私とは似つかない。どこか不思議で新しいその作品に、私は、読む手を止めることが出来なかった。可能性、そんなものを秘めた作品に出会ってしまった私は、少しだけ嫉妬した。

「あのね、お願いがあるの」

 ほんのイタズラのつもりだった。遊び心というか、ちょっとだけ意地悪をしたかった。この青年にも、そして、肯定しかしないスタッフにも。

 次の日、私は1話を書き換えたいと電話をした。まずは作品を拝読したいと言われて、私は送信をクリックした。結果は思った通り、絶賛された。

 しばらくして、夜遅くに自宅にやってきたのは、藤沢だった。藤沢は、子どもを諭すような優しい声で言った。

「これは、君の作品じゃないね。あんまり若い奴らをいじめないでくれないか」

 藤沢と直接会うのは、5、6何年ぶりだ。若い頃、彼がプロデューサーとして、私の作品に関わったドラマは、どれもヒットを飛ばした。ただひとつを除いて。 
 藤沢は、どんどんと出世し、私と組まなくてもヒットを出し続けた。

「よく気がついたわね。それ、他のスタッフは皆、素晴らしいって絶賛したのに」

「1人のスタッフが、杉本君の作品だって見抜いたんだ。うちにも少しは骨のある奴がいる。面白いが、これはまだ世に出せる作品じゃない」

「へー」

 とぼけてみると、藤沢の表情が変わった。怒らせてしまった。あの時と変わらない。私は思わず吹き出した。

「ふざけているわけじゃないんだぞ」

「わかってる。ただ、あの頃を思い出して」

 藤沢は、深いため息ををついた。

「ヒット作ができたのは、私の実力なんかじゃない。あなたのおかげよ。私は、未だにその呪縛から逃れられない。惨めなもんね」

 藤沢は、一呼吸置くと、ゆっくりと言葉を発した。

「今回、オファーを出したのは、君だからだ。君ならいい作品にできる。そう思ったからだよ」

「あの時もそう言ったじゃない」

 "月の音色と星の砂"

 私が手掛けた作品で、唯一、打ち切りになった作品だ。書きたいものを書く。反対を押しきって作り上げた脚本は、視聴者を置いてきぼりにした。藤沢から告げられたのは、打ち切り。私は、納得出来なかった。

 あの時も藤沢は、私の才能を信じてくれた。自分の才能を信じられなかったのは、多分、私だ。私は、途中で他人の評価に敏感になりすぎて、書きたいものを放り投げてしまった。月の音色と星の砂のような想いはしたくない。

「好きに書いていい。責任は俺が取る」

「あら、かっこいいわね」

「責任を取れる立場にようやくなれたんだよ。あの時とは違う。君もそうだろう。今なら自由だ」

 そうかもしれない。誰も期待していない今なら、自由に書けるのかもしれない。藤沢の言葉は、私を裸の王様から引き戻した。

「杉本君に謝らないとね」

「そうだな。締切、待てるのは2日だけだぞ」

「もう少し、時間をちょうだい」

 藤沢は、笑って首を横にふった。私は、膨れっ面をして、微笑み返した。

「君ならもっといいものが書ける」

 藤沢の言葉に、私は、自分を確かめるようにゆっくりと頷いた。

 空を見上げると、月は今日も綺麗に輝いていた。

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