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 勘違いをしていたのは、多分、僕の方だ。猫のように無邪気で寂しがりやな君を、誰よりも守りたかった。まだ僕は、この場所にいる。通り過ぎていく季節は、僕だけを取り残していく。
 いつしか君の好きなデイジーの花束は、枯れたまま朽ち果てている。もう、ここで起きた出来ことは、忘れさられてまったのだろう。僕の記憶だけが、いつまでも鮮明なまま、忘れようとする僕と、君を信じていたい僕がいる。入り混じった2つの感情に溺れ、いつしか僕は笑い方を忘れてしまっていた。

「陽太!」
 声のする方へ振り向くと、美希が交差点の向こう側で手を振っていた。アップにした栗色の髪の毛を揺らしながら駆け寄る美希は、気を遣ったように笑っていた。
「これから時間ある?」
 聞いてもいないのに、美希は、たまたま近くにいたの、と、また作り笑いをした。そんな嘘、つかなくてもいいよ。その一言が出ないのは、きっと僕も美希の優しさに甘えていたいからなのかもしれない。

 カフェに入ると、平日だというのに店は満席に近いほどの人だった。
「今、試験期間なのかな」
 すぐ近くの席では、参考書を開く学生たちがいる。平日の賑わいは、そのせいだろう。
「私たちも、よくここで勉強したね」
 美希とは、高校3年間同じクラスだった。サッカー部だった僕とマネージャーの美希。周りから見たらお似合いだったのかもしれない。部活が終わると帰る方向が一緒だというだけで、美希はいつも僕の隣にいた。
「もうすぐ、2年だね」
 美希は、そう言うと気まずさからか、僕からスッと目を逸らした。
「奈緒!」
 後ろの声に、僕は思わず振り返る。入ってきたのは、見知らぬ女子高生だ。当たり前だとわかっていても、どこかで期待した僕がいる。もし、それが奈緒だったら、どんなによかっただろう。あの頃の自分に戻れるならばと、願わない日はない。
 姿勢を戻すと、全てを見透かしたような美希のまっすぐな視線に、僕は居たたまれなくなった。
 
 思わず立ち上がる。奈緒を忘れられない罪悪感も、美希の想いをはぐらかす卑怯な気持ちも、隠してしまえばどんなに楽だろうか。
「待って!」
 追いかけようとする美希の声を振り切るように、歩きだす。僕は、ドラマの主人公のように、まだこの状況に酔っていたいだけなのかもしれない。

「奈緒が殺された?」
 2年前、突然の電話に僕は耳を疑った。いつものようにお休みとLINEしたあの日、奈緒は夜の街に消えていた。美希より少しだけ人見知りの彼女は、夜の街とは無縁な素朴な女性だと思っていた。
 深夜2時、人気のない交差点で何者かに刺された奈緒は、30分以上も誰にも見つからず亡くなった。僕が奈緒の死を知らされたのは、土曜日の正午頃だ。慌てた様子で、サッカー部顧問の玉森が、電話をかけてきた。その声が今も耳から離れない。
 付き合って半年たらずの僕らの関係を、奈緒の家族は知るはずもなく、僕が病院に駆けつけた時には、そっとしてほしいと高齢の女性に追い返された。亡くなった彼女に一目会いたい。その願いは叶わなかった。
 しばらくして、あの女性は、遠方に住む奈緒の祖母だったと聞いた。こんな時にも両親は姿を現さない。奈緒は、僕が知っている以上に孤独な生活を送っていたようだ。


「美希じゃなくて奈緒?」
 奈緒と付き合うようになった頃、よく周りからそう言われていた。美希の気持ちは、多分、誰の目にも明らかで、僕も心のどこかで美希の想いに気づいていた。美希は、明るく気が利き、周りにはいつも人が集まった。スラッとした細長い手足は、周りとは一段違う華やかさがあった。そんな美希ではなく、僕は奈緒を選んだ。奈緒から告白されたわけでも、僕が想いを告げたわけでもない。何かと不安定に見えた奈緒と気がついたらよく連絡を取るようになっていた。些細なやり取りをしたかというと、会えば少し素っ気ない。そんな奈緒に、僕は少しずつ惹かれていた。

「最近、二人怪しいけど」
 周りに茶化された時、奈緒は僕の答えを少し期待しているように見えた。その時、美希の顔が雲っていたことに、この時の僕は気づけなかった。
 奈緒のことをあざとい女だと言う奴もいた。どこか守りたくなるような彼女は、強くありたい僕の心を満たしてくれる、そんな存在だった。

「あんな大人しそうな顔してね」
 亡くなった後、調べれば調べるほど、奈緒の交友関係は、信じられないものだった。パパ活をしていたとか、危ない場所に出入りしていたとか、根も歯もない噂があっという間に広がった。
「やめて。死んだ人のこと、悪くいうのはやめてよ」
 面白おかしく噂する周りとは違い、美希だけは、決して奈緒のことを悪くは言わなかった。
「気にすることはないよ。私たちが知っている奈緒が、本当の奈緒だって、私はそう思ってる」
 見つからない犯人に、大きくなる噂は僕を地獄へと追い詰めた。あの時の僕にとって、奈緒を信じようとする美希の存在が、どんなに救いだったか。SNSには、犯人が僕だと決め込むような書き込みもあった。いつか留学してみたいだなんてノリで始めたオンラインの英会話の個人レッスンのおかげで、見知らぬ外国人が僕のアリバイを証明してくれた。
 早く犯人を捕まえてほしい。そうすれば、この苦しみも終わる。僕は、それで、やっとまた、笑えるような気がしていた。

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