mugi

好きなことは、写真撮影と下町散歩 社会学専攻中の大学生

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最近の記事

「心の関係人口」について

2024年1月1日、能登半島地震。 そして翌日、焼けてしまった輪島をテレビで見て、ひとり唖然とした。友人と行ったのは7年も前のこだけれど、それでも、重くズシンと身体に響くものがあった。 4日になり、当時友人と輪島に行くきっかけになった朝ドラ「まれ」の主人公を演じていた、土屋太鳳さんの公式インスタグラムをみて、 「見ている」「近くに行きたい」 ハッとした。これだって。 そして、「心の関係人口」という言葉がポンと浮かんだ。 - 場面が変わるが、そんななか、 私は卒業

    • 【詩】夜のベンチ

      心地よい秋の空気、澄んだ星空 幸せな時にはそれをより幸せにして 辛い時にはそれをより辛く虚しくさせてくる この季節の好きで、嫌いなところ。 美しいものは時に自分を汚いものに見せ 幸せな記憶は時に自分を弱くさせてくる 変わらない場所と思って来た、この公園も 遊具の色彩は薄れ、木々は茂り、まだ新しい砂場のネットの原色をより浮かび上がらせたりしている。 心も、関係も、まちも、この世の全て 本当に、無常なのかもしれない。 私とあなた、私と公園、常に一期一会だ。

      • 【詩】夜のブランコ

        散り残りの桜花を「名残りの花」と呼ぶらしい。 見頃が終わったあとも続く余韻の中の美しさのようなものを見出すところにとても日本らしさを感じる。 「桜吹雪」も素敵だけれど、春から夏への変わり目に吹くあの、強くてあたたかくてまろやかな風に乗って、静かに散る姿はとても綺麗だったな。 ブワーーーっと吹かれて、 一緒にどこかへ行ってしまいそうだった。

        • 【下町編集室OKASHI】ヨコハマの下町で遊んだ秋

          まちづくり団体というよりは、まちの楽しみ方を発信したい私たちだから、私たち自身がそこで楽しもうー。 今回は横浜橋とその周辺地域、ヨコハマの下町で遊んだ2021年秋のおはなし、下町文化あふれでる酉の市と三吉演芸場での体験について記します! 下町の一大イベント、酉の市 *一の酉* 商店街のお隣、金刀比羅大鷲神社(真金町)で毎年11月の酉の日におこなわれる酉の市。幸福をかき集めると言われている熊手の授与のほか、神社周辺では屋台がずらりと並び地元客でものすごく賑わいます。

        「心の関係人口」について

          【下町編集室OKASHI】自称、秋の下町芸術祭

          横浜市南区、横浜橋通商店街に拠点ができて半年ちょっと。活動の記録をしそびれていたので今更ながら2021年秋に記憶をタイムスリップさせてみる。 ▽新しいビジュアルができた \ これまでの下町編集室OKASHI / 2021/08/15 「商店街に拠点ができたことについて」 https://note.com/riyomugi/n/nd7ec6523b573 2021/10/15 「実感が湧いてきた夏のおはなし」 https://note.com/riyomugi/n/nf

          【下町編集室OKASHI】自称、秋の下町芸術祭

          【下町編集室OKASHI】実感がじわじわと湧いてきた夏

          横浜橋通商店街(横浜市南区)の元菓子店だった空き店舗を拠点として「アーカイブ」「コーディネート」などを切り口とした企画を実験的におこなう、いと-をかしプロジェクト。 活動開始から今日でちょうど3ヶ月。 ▽はじまりのときのnote https://note.com/riyomugi/n/nd7ec6523b573 これを書いてからあったこと、写真展の開催、新しくできた横浜橋界隈調査部、大通り公園のクリーンアップ、地元の絵描きさんによる絵画展などなど。季節ひとつぶんって不思

          【下町編集室OKASHI】実感がじわじわと湧いてきた夏

          【下町編集室OKASHI】商店街に拠点ができたことについて

          先月15日に始まった「いと-をかしプロジェクト」。 全国菓子工業組合連合会が制定した「おかしの日」が毎月15日ということで、「をかし」に絡めてその日をオープニングにしてみた。それから早くも1か月。 舞台は横浜の下町情緒が残る横浜橋通商店街(南区)。 商店街のちょうど真ん中あたりに位置する元菓子店の空き店舗を、商店街でフリーマガジンなどを制作する学生メンバーが中心となって1年間の実験的に「アーカイブ」「居合わせる」拠点として運営してみよう!というのがこの「いと-をかしプロ

          【下町編集室OKASHI】商店街に拠点ができたことについて

          余白をポジティブに考える

          私の通っていた高校は丘の上にあり、平地から高校にかけては昔ながらの商店街があった。横浜大空襲から辛うじて逃れ、米軍の接収も受けなかったその土地は戦後に入り横浜のひとびとの生活を支えたと聞いた。 中心部の復興と生活スタイルの変化により商店街はわかりやすく衰退。70を超えていた店舗も10数軒にまで減少。ポツンポツンと空き家・空き地が増え、そのままになったり、まったく新しい建物に立て直されたり、ただ立て壊されたり。店主に話を聞けばみな昔をなつかしく語り、現況を哀れむ。装飾の魅力的

          余白をポジティブに考える

          【余り時間のひとりごと】新小岩駅でのバス待ち、本の匂いのする本屋さん

          「小説家とか向いているかもしれないね」 まだ転校してすぐ、小学3年生のいつかの学期末、成績表を渡しながら先生が言った言葉をふと思い出しながら慣れないバス停でバスを待つ。 慣れないバス停はソワソワする。そのバス停を利用する人々によって作り上げられた無言のルールのようなものを感じるし、本当にここに居てバスは来るのだろうかという不安が付き纏うからだ。 久しぶりの新小岩駅。 駅が綺麗になってからこちら側に降りるのは初めてで、バスが来るまでの20分間をどうしようかと思いながら駅

          【余り時間のひとりごと】新小岩駅でのバス待ち、本の匂いのする本屋さん

          悪くないな、現代。

          Googleフォトの「1年前」というタブ。 マスクをつけながら友達と行ったユニバーサルスタジオジャパンでの写真が並んでいる。この時はまだ感染病なんてすぐなくなるだろうと思っていた。 大学生のこの時期に遠くへ行けない、催しが開けない、付き合いたてなのに東京デートは一度きり、そしてこれまでまちで活動する時に大切にしてきた「対面の魅力」というようなワードが否定された感覚、もう個人的には嫌なことしかない。そんな1年。 それでも最近ふと気が付いたこと 「あれ、案外悪くないな現代。

          悪くないな、現代。

          存在証明とは

          大学を休学している ありがたいことに、フリーの仕事が増えた 私は何をもって社会で自分の存在を証明できるのだろうかという、答えのない問いを考えはじめる深夜4時。 肩書きだけでなく、自分としてまるごとを認めてもらいたいという素朴な気持ちは何も恋愛に限るものではないのではない。役割を持たずに、ただひたすらに真っ直ぐに時間をかけて知り合えたら素敵だ。 しかし実際には知らない相手や、社会に対して自分を瞬時に表現しなければいけない機会は多く、名前以上の存在証明が必要になる。思いつく

          存在証明とは

          自己満足だけの表現

          最近、仕事として文章を書くことや、写真を撮る機会が増えた。ただ自分が吐き出したいときのそれとは違って、表現の先には誰かがいる。キリトリ方にはフォーマットなるものがあって、その中で自分を探している。もしくは主観を消して、ただ文字を綴る道具のような事実重視の思考に寄せる。 とは言え、よく考えてみれば日常の中でも何かの先には誰かがいることがほとんどで、ただ自分の純粋な気持ちから生まれる行為とはありうるのかとも思う。そもそも文字なんて、記録写真なんて、私たちの生活圏が広まりすぎたが

          自己満足だけの表現

          撮ることを、やめたくなる時

          はじめてのnoteだというのに暗すぎるタイトルをつけてしまった。中身はすこぶる元気な写真好きの大学生です。(もはや先日FUJIFILMのxpro3が仲間入りしてここ数日かなりテンションが高い) なぜ私は写真を撮るのか そもそもこの瞬間を残したいという感情って何 そんな疑問が浮かんでは消えていく。本格的なカメラを手にして、明日で4年が経つらしいが、いつまで経っても答えは曖昧で、きっとまたすぐ立ち止まって考えてしまう。多分ただの考えすぎだけれど、でも当たり前に撮っている時には

          撮ることを、やめたくなる時