子育て、家事、家庭 【エッセイ】

 家庭環境に悩みがある人は多いのかもしれない
 もしくは昔からたくさんの人が悩んではいたが顕在化していなかったのかもしれない。
 毒親という言葉が世に出始めて聞くようになってからある程度の時間が流れた。
 毒親という言葉を聞いて最初に思うことは親ではなく子に対する名称はないのだろうか?
 という疑問符だろう。
 これが世間的に流布しているのだかは定かではないが毒親ならぬ毒子というものが当たり前に話されることあっていいのだが、毒子という言葉流行らなさそうだなと一つ何とけなしに思った。理由はおそらく'どくし'という読み方も頭の中で思い浮かんで文字上での一音性というものがないからだろう。
 この理由で毒親という言葉の方が流布しているのであれば親側はしょうもないハンデを背負っているのかもしれない。
 
 しかしこの毒親というどう考えてもいい意味では捉えられないこの言葉による、個人的ないい点が一つある。
 それは家庭というものに対する幻想への一撃になったという点だ。
 ここで私の情報を入れておくと私は家庭環境が良いとか悪いとかは分からない。つまりはそんなことを考えなくてもいいくらいいい家庭だったのかもしれないと思うことも出来るし良いと手放しには言えないくらいの悪さを持った家庭なのかもしれない。
 話しを戻すと家庭というものの幻想の一撃が何故個人的に良い点だと捉えているかというと、家族というのは仲良くあるべきだという考えが世の中にはあると思う。この考えは理想的ではあるが現実的ではないことがあるという現実が存在することを否定しがちである。否定することではないということを世の中に知らせることがあるかもしれない。
 
 私は子持ちではないが、子育てということが酷く大変であることは想像に難くない。私が子供を持つことを想像して子育てをすることを考えたら億劫で仕方ないと今の子持ちではない私は思っている。
 そしてこの考えはごくごく普通に世の母親、父親というものに適応できることだと思う。
 子育ては億劫なのだ。
 この事実を広く当たり前に思える世の中であるといいがそうではないだろう。
 でも子育てとは簡単に言わなければその億劫さは広く分かるだろうーつまり他人のオムツ替え、夜泣きやぐずり言い換えれば特別に何も出来ない人の育成、管理で寝不足が当たり前といえる。これに加えて他の家事と言われるものをしなければならない。仕事で人に仕事を教えるという経験をしたことがある人はその大変さが少しは分かるだろうか。
 子育てというのは大変だ、加えて家事も大変だ。
 だからサボれるならサボったほうがいいしやらなくてもいいならやらないほうがいい。そんな当たり前にそうしたいと想うことだけれどそれを良くないことに捉えてしまう家庭というもの理想が世の中にはある。
 
 家庭のかたちはいっぱいある、多分各々の家庭で違うものなのだろう。そんな違うことが当たり前理想的でないことが当たり前の現実の家庭というやつだけれど全ての家庭で同じであるべきことが一つあるーそれは家庭という大変なことをする集団の中で大変なことをして貢献している人が報われるべきだということと、
 大変なことを進んでやるのが家庭の中での重要な立ち回りなんだよということ。
 そんなことを想い、

 結婚したくないと思った今日この頃


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