不定行為と先生

「恋とは何だろうか?」
「その人のことを主観性により特殊扱いすること、およびそれで生まれる人間関係」
「正しい恋をしたい」
「恋は大きな間違い、勘違いから生まれるから正しさなどを求めるべきではない」
「恋に正解はないのでしょうか」
「恋は定義されないことが定義されている変数でありX=何たらと自分で正解だと思うことをすれば良い何をしようと間違いになることは確かであるがしかしそれは人によくあることである」
「人って何なんでしょう、人生って何でしょう。正解だけを出してればいいと思っていましたがそうではないことがあることを知りました。皆も正しいことを求めている。間違いをしたくないと感じているのに何故正解が作られないんでしょう」
「人とは何かを私は知らない。でもそんなことを思えるのが人であることは確かで、人は正しいことよりも、間違いをしたくないよりも間違いが許される世界を望んでいるんだと思う
 正しいだけの世界は息苦しい
 間違いがない世界は退屈
 人は多分それを感覚で知っている。
 もちろんそうじゃないことも知っているのだろうね。君も皆も」
「正しくなければ否定され、間違いをすれば馬鹿にされる」
「それは間違いである」
「でも現実はそうですよね」
「現実はそうだ、君の理解は正しく、間違いが多い。 
 君が最初の話、恋の話であるが、
 それは現実に理想を求める行為である。
 恋は間違いから始まると言った。
 現実で理想を求めるのは間違いである。
 理想を現実にするために生きるべきだ。」
  君にとって理想とはなんだ?
 そしてそれを誰かに求めるべきではないことは確かだ。

 こうして欲しいという我儘がある。
 先生は正解ではないけれど答えを持っていた。
 理想も現実も正しさも間違いも全て内在する不安定なままの答えを、
 そしてそれを当然のように言うのであった。

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