気づかいの出来る大人になりましょう。 【エッセイ】

 私は子供でありたいと思います。

 気づかいという言葉をよく聞くようになったのは一体いつからだろうか?
 こんな疑問符を浮かべてみたがよく聞くようになったとはどういうことかと、流行りみたいなことであるのかと、

 実際のところ気づかいは大事である。
 人間というの関係を築く、もしくは築かせられる両方の面において大事である。マナーみたいなものである。
 しかしマナーと同じようなことで明文化されたルールではないことであるのが問題を引き起こす。
 ではルールにすれば良いのではないかと、
 実にその通りなのであるが、
 大変マナーも気づかいもないことを言うのであれば、ルール化するのが面倒くさいからマナーとか気づかいとか曖昧な言葉で誤魔化したいのである。
 しかしこの誤魔化しは実に気づかいのあることで、ルール化するとならば六法全書並みの厚みになってしまうので覚えるのは土台無理な話である。ついでにこの発言は司法制度の原則に対する言葉ではないことを自己防衛的に言っておく。

 気づかいとは曖昧なのである。ルール化されていないのである。
 だから気づかいを持ちましょうと言って気づかいをさせるのは土台無理な話で、自然発生するものに流されるしかない。

 私見をいうならば気づかいを持ちましょうという言葉には気づかいなど微塵もないことをここで言っておきたい。

 最後にもう1つ私見で

 気づかいなどしていないようにするのが
 本当の気づかい

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?