気配り、気苦労 【エッセイ】

気配りが大事などという話を職場で聞くと、

具体的には?

と尋ねたくなる
具体的に言っていくには大変なほど、細かいことが多いものが気配りなんだとは思うけど
そんな大変なことを気配りは大事なんて軽い話で出来るようになるとは思わない

そもそも気配りが大事という話をするということは、気配りが出来てない人がこの中にいると暗に言ってるようなことで、そんな話をしだすことがすでに気配りがない話だと言える

気配りとは何のためにするのだろう?

そもそも職場でつまり仕事で気配りが大事であるとはあまり私は思っていない
だって気配りを大事に心の底から思うのであれば、仕事をさせていることが間違いじゃないか
仕事をさせなければ気配ってもらう必要もない、ある意味で最も気配りがある状態が出来るのだ

仕事をするのは命令するからやってもらえるのだと僕は思っている

命令できる力が背景にあるから仕事をしてもらえるのだ、そういうもので築かれている職場という環境で気配りが大事というのは矛盾している気がする

というより
複雑化している
まず
気配りという言葉が複雑だし、気配りを意識するようになるとアイツは気配りが出来てないとか人を評価するようになるし、こっちはちゃんとしているのに相手がしないことを不満に思うようになる。
気配りなんて勝手にやるもので、自然に出るものであると思う

気配りが大事って短い言葉でいうのは気配りがなってない
気配りをしてほしいのであれば、人がしていることでやってくれたことを褒めたりして気配りをするのが良いと自然に思わせるようにしなければならないと思う
そしてそれはたいそう面倒くさいし、複雑だ

職場とかその他の人間関係をしていると
みんな物事を複雑にするのがお好きだと思う
悪意があるって決まってないのに人の言葉に悪意を見出すのは馬鹿らしい、やってほしいと思うことを遠回しにいうのはアホらしいし、
そんなことをみんなしたがっているのにそんなことにみんな気苦労している


"みんな、単純に生きようぜ"



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