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対話との出会い①

A4ノートとの対話


対話と初めて出会ったのは24歳の頃に手にした一冊の本でした。
タイトルは「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」。
日常に翻弄される中でもう一度楽しい生活を取り戻したい、そう思った時に読み始めました。

この本を簡単に説明すると、自分の奥深くに眠る子どものような存在(インナーチャイルド)を呼び覚まし、彼らの持つ天才性を発揮できるようにする、という趣旨の本です。
その本は12章で構成されていて、各章に教訓めいたエッセイと取り組むべき課題が載っています。実際に海外で活躍するアーティストの活躍秘話が盛り込まれているため、読み物としても読みやすく、課題も特別な技術がなくてもできるので、スムーズに進めていくことができました。
 
その中の毎日続ける継続ワークの一つに
毎日A4のノート3ページ分感じていることを自由に書きなさい。
というのがありました。

3ページも書けるかい…
国語の記述問題、不得手だよ…
自分についてそれほど語れませんよ…

苦手意識はかなりありました。
初めは何を書いたら良いかわからず、
「初めてこんなに文字を書く。昔から国語が苦手だったから書いてみても読みにくい文章だな」
とか
「今日は天気が良い。雲が全くなくて外に出たい気分だ。正直3ページも書くことないけど、なに書こう。モチベーションを高めるために書き心地の良いペンを買いにいこうかな」
とか独り言のようなことを永遠と書いていました。
 
正直初めの1週間くらいは何の意味があるのだろう、と思っていました。別にこれでお金がもらえるわけでもないし、スキルが身につくわけでもない。続けられたのは単に時間に余裕があったからだと思います(その頃は挫折をしてお休みしていた時期でした)。

ただ何日か書き続けてから見返してみると、自分がどういう事に興味を持っていて、何が好きか、というのを読み取れるようになりました。
好きな事に関する話は1~2ページに渡り、自分の嬉しかった事も1~2ページに渡り。
「また、教科書に出てこないような人間らしいストーリーに感動しているな」
「また、一芸に秀でている人(短所Max)が周囲の人を幸せにする話に感動しているな」
「人が育っていく姿を見るのがすきなんだな」
とか。
自分を客観的に捉えられるようになりました。

そうすると自然と自分を喜ばせる方法がわかってきました。数か月経つ頃には充実感を感じられる時間は何倍にも増え、よく笑い、よく感動する人間に変わっていたな、と思います。

対話の効能


自己対話を通して得られたものは行動指針です。
それまでは世の中で活躍している人を見て、その人の真似をすることが幸せになるための唯一の方法でした。しかし自分への理解が進んだことで、自分自身にあった幸せになる方法を考えられるようになります。
食事の場合、
・以前
「TVでやっていた名古屋にある○○バーガーというのが流行っていて絶品らしい」
・以後
「自分は創る、という行為が好き。さらに言うと、レシピ通りに創るのではなく、今までの経験を活かして、スーパーで鮮度の高い食品を見極め、レシピを参考にしつつ即興でアレンジするのが好き」
という認識の変化があります。

恋愛の場合だと
・以前
「彼氏たるものデート先を考えて提案するのが当たり前。当日もエスコートできるよう情報収集しておき、その完璧な自分を褒めてほしい」
・以後
「僕はある程度の決まった予定は確保しつつも、そこから脱線したり、当日見つけた面白い場所に立ち寄る、というのが好き。さらに言うと、完璧にプランニングすることに喜びは感じず、むしろ彼女からの提案や、彼女が見つけた面白さを一緒に楽しむのが好き」
というのが分かってきました。
この人間関係に関する発見は特に興味深い物でした。読書前と読書後で相手に求めるものが全然違ってきます。
読書前の理想の彼女像は自分が引っ張って後ろについてきてくれる人、読書後は横に並んで一緒にアイディアを出し合いながら楽しく遊べる人。さらに言うと、僕は冗談を言うのが好きなのでそれを一緒になって楽しんでくれる人。自然と出会う人達も変わってきました。

自己対話は自分勝手?

自分との対話と聞くと、自分の事だけ考え、自分の幸せのみ考える、という一見自分勝手な行為にも思えます。
ですが、自分の事をより深く理解することで、
・気の合う人とのご縁ができやすくなり、自分のアイディアや行いに喜んでもらえる機会が増える
・自分のパワーがみなぎるエンジンを理解することで、仕事に意欲的に取り組むことができる
・欠点や悪い癖も自分自身で把握しており、補って欲しい部分を伝えられるので、所属しているチームや組織で良好な関係を気付きやすくなる。
のように、利点もあったように思います。

もちろん、これ以降完璧な人生を歩んできたわけではありません。
もっぱら手探りです。ここで身に着けられる生き方は成功を保証してくれる生き方ではございません。
喧嘩をすることもありましたし、働きすぎてどうにかなってしまった時もありました。みっともない自分をさらした事も多々あります。
接客業なのに坊主にして辞表届を出す、という「こいつヤバいな」としか思えないような行動をとった時もありました(恥)

毎日行うはずののノート3ページ分の自己対話も続けられていません。今ではなんか身体の調子がおかしいな、と思った時にノートに向き合う程度。
ただ自分との対話の仕方を身に着けたことで、自らに異変が出てきたときに自分でメンテナンスを行い、人生を主体的に歩んでいけるようになりました。そしてこういうメンテナンスは誰しも自分でできるわけがない事も社会に出ていろんな人に触れて学びました。

ここで僕は思うわけです。

自分の考えを親身に聞いてくれる人がいたら、どうなっていたんだろうなあ

と。

縁側に向かって


僕は引っ越しが多いこともあり、いざ弱ってきた時に何でも話せる知人が近くにはいませんでした(友人に怒られるかなー…)。職場で仲の良い人もいましたが、プライドがあったり、今後のきまずさ、恥ずかしさをふまえると話せなかったり。もしくは自分の意見を押し付けてきそうだな、という予感があったりして、結果自分でなんとかする、という方法をとってきました。

また、自分の考えを話したときに、「変なこと考えてる」「そんな事考えるのはおかしい」とか言われた経験もあるので、自分の事を話すのには慎重にもなりました。

世の中の事を考えると、働き方、家族構成、生活スタイルなど一人一人の暮らしが本当に様々になってきたように思います。

ひと昔前までなら、兄妹が多くて大家族で、3世代で暮らしていて、夫が大黒柱で。女性は家にいて、男の子はその家を継いで。似通った背景や育ちを持つ方も多かったので、何かに悩んだり違和感を感じた時に同じ境遇の方も多く、参考になる情報も多かったでしょう。同じ悩みを感じてきた先輩も見つかりやすかったように思います。
ですが、情報技術が進化し様々な思想が普及し、職業や暮らし方も多様になってきたので、自分の核心の部分まで似ている人は減ってきていて、革新の所まではわかってもらえない。

たとえ、自分に仲の良い、気心が知れた人がいても卒業、転職、引っ越し、出産、などで疎遠になったりすることもあるでしょう。

だからそういう人のメンテナンススポットとして「対話」を行う場を創りたい。
そして、自分が平均より少し優れている「観察」「分析」「考察」力を活かし、自分一人では難しい対話のお手伝いがしたい。

そこで、ライフワークとして「対話」を始めることにいたしました。

縁側で、お茶でも飲みながらぼーっとする感じで。

(詳細は準備が出来次第公開させて頂きます)

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