死のスイッチ。

旦那さんの末期がんの看病をしているイタリア人の友人がいる。

1年前に発症し
それからずっと戦ってきた。

夜中、叫ぶほどの痛みから
彼女も旦那さんも眠れず
モルヒネの量を2倍に増量した。

彼女は今だけではなく
夏休みから殆ど寝ていない。

夜中10回くらい
嘔吐や下痢のオムツ変え、
薬の投与のために起こされるという。

私はやせ細った彼女を見て、

あなたには小さな子供がいるんだから
もし、あなたに本当の限界がきて倒れてしまう前に
彼をホスピスに入れることも考えてね。
と、忠告した。

彼女は、
うん、ありがとう
と答えたけれど
最期まで家で看病する心意気のようだった。

訪問看護師からこんなことを言われた
と、私に嘆きながら訴えてきた。

旦那さん、最期の相当辛い
苦しみの時期に突入してしまっているから
ホスピスに入れるか入れないか、
旦那さんと話してあなたが答えを出してください。
と言われたと。

訪問看護師の言うホスピス(末期癌患者の入院施設)とは
私が勧めた辛い看護の緩和のための入院ではなく

薬の力で眠らせながら
静かに逝ってもらうための
お別れの入院なのだという。

奥さんの彼女ですら
こんなに痛み、吐き気、下痢で苦しんでいる姿を
もう見ていられない、辛い、
こんな苦しみから解放させてあげたい
ともらしている。

しかし、彼は生きているのだ。
電話もしてくるし
子供達の写真をスマホに送ってくれ
とメッセージを送ってくるのだ。

彼は40代の私とほぼ同い年なのだ!
1日でも多く子供達と戯れていたいし
奥さんと一緒に過ごしていたいのだ。

それなのに
残酷なことに
奥さんがホスピスに送るか
決めなければいけないという。

最愛の人の「死のスイッチ」を
自ら入れろというのか??

私には出来ない。

患者がもう無理と言い出さない限り

死の瞬間は、天に任せたい。

私は彼女に自分の思いを伝えると
もちろん彼女も同じ意見で
旦那さんも最後まで家にいたい意向だとのこと。

私はホッとしたと同時に
付きっきりで看病している奥さんの彼女が
力尽きてしまわないことを祈った。

私も義姉の両足が壊死で真っ黒になってしまい
敗血症でフラフラになって死にそうになっていた時

義姉は足を切断しないまま死にたい

と訴えていた。

彼女の長年の親友は、
毎日お見舞いに来て隣に寄り添いながら
このまま終わりにさせてあげれば?
と目で訴えていた。

でも私には
義姉をそのまま放置することは出来なかった。

人の命をもてあそんではいけないと思った。

たとえ過去に義姉がどんなに私に悪態をついてきたからって
目の前のご飯も喉を通らなくなった義姉は
必死に己の人生を生き抜いてきた、弱い光を放つ魂だった。

彼女の魂の行く先は天に委ねるしかないと
私は救急車を呼んだ。

一体あの日から
今の生活がどうやったら想像出来ただろうか?

義姉は足を切断し
真っ黒だった右足に奇跡的に血流が戻り
今はピンピン元気に車椅子で生活している。

力尽きそうな魂が目の前にいたら
私達の生気を吹き込んであげよう。

もしそれで私達の力が及ばなかったとしても
残される自分に後悔の嵐が吹かないように…。

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