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白夜の海 Episode 2 【#シロクマ文芸部】

こんばんは、樹立夏と申します。
この度、恋愛小説を書いてみました。
生きづらさを抱えた主人公たちの、恋物語です。



もしよろしければ、白夜の海 第一話を、こちらからぜひご覧ください↓

 桜色をした私の爪は、校則通りにいつも綺麗に切り揃えて、やすりで磨いてある。その爪で、カレンダーをなぞった。毎週日曜日が、待ち遠しい。時間を早送りしたくて、私は一層熱心に勉強に打ち込んだ。そんな私を見て、お父さんとお母さんは、顔を見合わせて微笑んだ。「あまり根詰めすぎないでね」などと言って、お母さんが、自ら夜食を作ってくれたこともあった。私が平日の夜、勉強に集中するのは、日曜日に図書館で勉強をしなくても済むようにしたいからなのに。

 五月二十六日、日曜日。いつもの不機嫌顔を装って出かけた私は、図書館に着くころにはすっかり浮かれた気分になっていた。四階の美術コーナーでは、いつものように奏汰が私を待ってくれていて、私を見つけると、穏やかな笑顔で手を振った。

 私たちは、お決まりの場所となった図書館裏のベンチに座って、お昼ご飯を食べた。奏汰はいつも、コンビニの菓子パンや、惣菜パン、カロリーメイトなどを食べている。「不道徳な」食べものを頬張る奏汰を、私は、少し羨ましく思う。六月が近づき、空気は湿り気を帯びてきた。タンポポの季節は終り、ベンチの下には、クローバーの白い花が、緑の葉の絨毯の上に、咲き誇っている。

 ベンチのすぐ後ろの芝生には、大きな楓の木がある。楓の木は、太陽に向かって両手を伸ばすように、枝をいっぱいに広げ、風にそよいでいる。どこかから、子供たちのキャッキャッという声が聞こえる。図書館裏には、今、私たち以外、誰もいない。木漏れ日が、奏汰の表情に、光と影を与える。奏汰が俯くと、睫毛が思いのほか長いことに気が付いた。

 奏汰が私の視線に気づき、顔を上げて微笑んだ。その目線にどぎまぎして、私は膝の上で広げたお弁当を凝視した。

「眞子ちゃんの弁当ってさ、いつもめちゃくちゃ美味そうだよね。お母さん?」
「ううん。三島さんっていう、お手伝いさんが作ってくれてる」
「お手伝いさん!? セレブじゃん!」 

 奏汰は、裏返った声で叫んで、菓子パンをのどに詰まらせ、むせて咳をした。奏汰の、アイロンがかかっていない、白いシャツの背中をさすろうとして伸ばした手を、私は所在なく引っ込めた。

 今日は、どうしても伝えたいことがある。

「奏汰の話を聞かせて」

 できるだけそっけなく、だけど勇気を出して告げると、奏汰は私の目を覗き込んで、笑った。五月のきらめく太陽が、奏汰の瞳に宿っていた。

「俺の話なんてつまらないし、眞子ちゃんには、信じられないかもしれないけどさ」

 奏汰は、ベンチの縁を両手で握ると、前を向いてぽつぽつと話し始めた。奏汰は、スナックで働いているお母さんと二人暮らしをしている。定時制の高校の三年生で、学費と生活費を稼ぐため、昼間は清掃や引っ越しのアルバイトをしている。お母さんは、恋人を作ってはすぐ別れることを繰り返していて、時々知らない男の人が家にいることもある。

 殺伐とした光景が頭に浮かぶ。大きな犬も、お手伝いさんもいない、奏汰の家が。

「酒が入ってなければ、普通にただ、気の弱いおばさんなんだけどさ」

 奏汰は寂しそうに笑って、私を見つめた。私は目をそらさずに、話を進めるよう促した。

「俺の家、金無くて。だから、金がかからずに本が読める図書館が、何よりの息抜きでさ」

 図書館が息抜きなのは、私も同じだ。私は、何度か頷いた。

「正直、生きていくのがしんどい時もある。そういう時、頭の中で物語を走らせるんだ。ここじゃないどこかの話。それを図書館のパソコンコーナーで、文字に書き起こしてる」
「小説を書いてるってこと?」
「そう。小学五年から小説書いてる。けど、小学生の頃は、ノートも買ってもらえなくて。先生に頼み込んで、ミスプリの裏紙、沢山もらって。毎日寝る前に、その紙にひたすら書いてたなあ」

 私の中を、熱い感情が巡る。

「すごい、すごいよ奏汰! 思ってることを小説にできるなんてすごい!」

 奏汰は、私の熱気に気圧されたように、少し後ろに退いた。辛い境遇の中、それでも自分に嘘をつかず、やりたいことをやっている奏汰が輝いて見えた。それに引き換え私は、何不自由ない生活の中で、何度も何度もやりたいことを諦めそうになっている。

——何不自由のない……?

 小さな違和感に、一瞬私の顔が曇ったのを、奏汰は見過ごさなかった。

「眞子ちゃんだってすごいよ。勝手な想像だけど、親、厳しいんでしょ? 自分と同じ道に進ませようとしてきたり、眞子ちゃんのこと縛ろうとしたり。その状況で勉強頑張ったり、時間作って好きな画集見たりするのって、なかなかできることじゃなくない?」

 初めて、自分の中の、一番柔らかい芽の部分を肯定してもらえた気がした。

「大丈夫だよ。自信持ちなよ。眞子ちゃん」

 言葉よりも先に、涙が溢れ出た。下まぶたに溜まった涙が、表面張力の支えを失って、最初の一滴がこぼれ落ちた。あとから、あとから、涙がこぼれた。涙は、私の中にある若芽を潤した。空を覆っていた分厚い雲が割け、ずっと待ち望んでいた太陽が顔を出したようだった。

「ごめん。俺、またなんか変なこと言った?」
「違うの。嬉しいの」

 奏汰は、泣きじゃくる私を、笑顔で、ただ見守っていてくれた。私は、呼吸を落ち着けようと、胸に手を当てた。吸って、吐いて。呼吸が一定のリズムを取り戻した時、奏汰の瞳を見つめた。この瞳だけは、いつまでも、絶対に濁らないでいて欲しい。

「奏汰が書いた小説を、読ませて」

 奏汰は、不思議そうに目を見開いた。

「俺が書いた小説なんか読んで、どうするの?」
「なんか、じゃないよ。奏汰が書いた小説が、面白くないわけないでしょう?」

 奏汰は、困ったように頭を掻いて、遠くを見つめた。風が、楓の木を、ごう、と鳴らした。奏汰の柔らかい髪の毛も、揺れた。

「わかった。来週、持ってくる。俺の最高傑作だから、覚悟して読んでよ?」

 奏汰は、悪戯っぽくおどけた。

「ありがとう! 楽しみにしてるね!」

 この時、私は気づかなかった。奏汰が抱えている闇に。その苦悩に。

<来週に続く>

この連続小説は、小牧幸助さまの下記企画に参加しております。

恋愛小説って、登場人物の二人よりも、書いている作者の方がよっぽどドキドキします。いろんな意味で。

小牧部長、今週も書けました!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

#シロクマ文芸部


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