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イチゴのタトゥー【#シロクマ文芸部】 

こんにちは。
小牧幸助さまの企画に参加させていただけるので、日曜日の午後の憂鬱さが緩和されています。小牧幸助さま、心よりお礼申し上げます。今週も書けました。原稿を書けることに喜びを感じます。

#シロクマ文芸部

それでは、本編をどうぞ!
🍓🍓🍓
  
 舞うイチゴを、気づかれないように目で追いながら、僕はピアノの伴奏を続ける。腰に入った、イチゴのタトゥー。果実だけではなく、葉もリアルにデザインされている。腰が大きく開いた練習着を着ているので、彼女が動くたび、イチゴのタトゥーが上下し、ねじれる。清楚な彼女がタトゥーを入れていることが意外で、ますます僕は、彼女に惹かれていく。彼女は、つま先立ちし、軸足をまっすぐに保ったまま、くるくると何度も回転する。自分の動きに納得がいかないのか、何度も何度も動きを確認する。

「エレーナ、少し休んだら?」

 彼女の名前は、エレーナという。十八歳のエレーナの表情は、年齢よりも大人びて見える。僕のぎこちない英語は、伝わっただろうか。

「ソウスケ、勝手にやめないで。ステージは明日なの」

 エレーナは、厳しい目で僕を射抜く。

「練習と確認が必要なの。今のコーダのところ、最初から弾いて」

 僕は、言われた通りに、一番の見せ場を最初から伴奏する。黒鳥の三十二回転。気が遠くなるような数だ。エレーナの完璧な笑顔に、汗が滴る。エレーナは、踊りの最中、どんなに苦しくても負の感情を顔に出さない。妖艶な黒鳥の舞を見ながら、僕がダンサーだったなら、と思う。エレーナの傍にいて彼女と一緒に踊ることができるのに。

 エレーナが僕の演奏を手で制し、床に座り込んだ。天を仰ぎ、荒く呼吸をする。もう体力の限界だ。これ以上の練習は危険だ。

 僕は、リストの「ため息」を弾きはじめた。エレーナをリラックスさせるためだ。波のように繰り返す旋律が、練習スタジオを飲み込んでいく。エレーナは、目を閉じて、心地よさそうに呼吸をしていた。曲を弾き終えると、僕は、勇気を出して聞いた。

「そのイチゴのタトゥー、とても綺麗だね」

 エレーナは一瞬目を見開き、何度か瞬きをした。あれ、変なことを聞いてしまったのかな。

「恋人が、私のことをイチゴみたいに可愛いって言ったの」
「へ、へえ! そうなんだ」
 
 エレーナには、恋人がいるのか。頭をガーンと殴られたような衝撃に襲われた。僕は、こういう時に、本心と真逆の発言をしてしまう癖がある。

「素敵な恋人だね。彼も、ダンサーなのかな?」

 エレーナは、ふうっと息を吐くと、目を伏せた。

「そうね。ダンサーだったわ。あの壊滅した街で、一番のダンサーだったの。神様に愛された彼は、もうこの世にはいないわ」

 僕は、取り返しのつかないことをしてしまった。エレーナがどうしてこのバレエ団に辿り着いたのか、知っていたはずなのに。全身から血の気が引いていく。どうすればいいのだろう。彼女の傷をえぐってしまうなんて。
 
「エレーナ、僕……」

 エレーナは、立ち上がると、真っすぐに僕を見て、囁いた。

「黒鳥のバリエーションを伴奏して。踊っている間は、彼と一緒にいられるから」

 踊るエレーナは、強くしなやかで、もろい。僕は、何度でも、何度でも、エレーナのためにピアノを弾こう。僕にできることはそれしかない。彼女の傷が、少しでも癒えるように。

 本番を迎え、舞台袖からダンサーたちを見る。黒鳥の衣装に身を包んだエレーナは、自信に満ち溢れていた。ふと、エレーナがこちらを見た。小さく手を振って応える。エレーナが口を動かし、僕に何かを伝えようとした。ぽかんと立ちつくす僕に、エレーナはかすかに微笑むと、優雅な足取りでステージへと向かった。
 
 エレーナは何と言ったのだろう。
 舞台が終わったら、聞いてみようか。
 その時は、大輪の薔薇の花束を添えて。

<終>
 

 


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