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エッセイ1000字|雪嵐の夜に、チェロ協奏曲を|

今日の北国は荒れに荒れた。
仕事終わり、遭難しそうな猛吹雪の中を、膝まであるダウンコートのフードを目深にかぶってバス停へ向かった。視界がきかない、ホワイトアウトだ。地下鉄駅まで歩いたほうが早いかもしれない。しかし猛烈な暴風雪が、私の行く手を阻んだ。当然、バスは定刻になんて来るはずもない。
――待つしかない。
しかし、待てどもバスは来ない。マスクに雪が吹き付け、凍りそうになる。風上を向くと、雪嵐がそのまま肺になだれ込みそうになり、慌てて風下を向いて立つ。定刻を5分過ぎ、10分過ぎても、バスは来ない。大丈夫、去年は最大40分待ったんだもの。まだまだこれからだ。さて、この待ち時間をどう使おうか。

そうだ、こんな雪嵐の夜にぴったりな曲があるではないか!
エルガーの、チェロ協奏曲だ。ソリストは、もちろん、伝説のチェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレである。このチェロ協奏曲は彼女の代名詞と言ってもいいだろう。

初めの一音を聴いたときから、私は、彼女の演奏を愛している。一音一音の声、猟奇的なビブラートが、私を虜にしたのだ。画面の向こうで、髪の長い美しい女性が、ぶっ壊れそうなエルガーを弾いている。少女のような表情。チェリストとなる運命を背負って生まれてきたかのような、長い指に、大きな手だ。彼女は大きく体をゆすりながら、何かが憑依したかのようにチェロを弾く。

冒頭の重音が、壮絶な物語の幕を開ける。ジャクリーヌの魂が乗り移ったチェロが、彼女の声で歌う。唸りに唸る音。そしてドラマチックな主旋律の登場だ。もはや彼女の演奏は音楽を越えている。波乱に満ちた彼女の人生の舞台を見ているような。蕾が開き、美しく咲き、そして嵐の中で散っていくような。チェロが叫び、嘆き、笑い、愛を歌う。狂気を孕んだ、極めて情緒的な演奏だ。

荒野を冷たい雪風が吹き殴る。ちょうど今日のように、肺を凍らせるような風が。視界がきかない。前に進んでいるのかすら、わからない。たった一つわかることは、今自分がかろうじて生きているということ。敢えて風上を向き、雪嵐に立ち向かうように、彼女は生きてきたのだろうか。

――多発性硬化症

彼女が患っていた、神経系の難病である。病魔は、彼女から指の感覚を奪った。チェリストにとっては、死よりも辛い宣告だったのではないか。42歳の若さで、彼女は天に召された。

もっともっと長く生きていてくれれば、私はきっと彼女の演奏を聴きに行ったのに。絶望と愛、そしてほんの少しの輝くような希望を感じる、泣き崩れそうになる演奏であるはずだったのに。

第二楽章の途中で、やっとバスが来た。

それにしても、今日の雪嵐と、エルガーのチェロ協奏曲の相性は抜群だ。
気づくと、仕事の疲れも忘れるほどに、ジャクリーヌの演奏に没入していた。

綺麗に整った演奏よりも、わたしはぶっ壊れそうな彼女の演奏が好きだ。

会いたかったなあ。







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