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坂口安吾「白痴」を→短歌に翻訳して→短歌だけ読んで戯曲に逆翻訳したらこうなる◎小説→短歌→小説をつくるバックトランスレーション「ハヤブサ」

ハヤブサの遊び方

① ものずきがふたりあつまる
② 好きな小説をえらび小説→短歌にトランスレーション
③「元の小説がなにか」を知らせずに交換する
④ お互いの短歌だけをよんで短歌→小説にバックトランスレーション
⑤ ④の完成小説と②でえらんだ小説タイトル(トランスレーション元ネタ)を発表し合う。
⑥ 相違点をたのしむ

さっそくハヤブサで遊んでみる

① あつまったものずき: みやり と 立夏

② 坂口安吾「白痴」→短歌にトランスレーション(小説選・短歌作:みやり)※「白痴」未読の方は先に目を通していただいてから続きを読んでいただくことをお勧めします。(青空文庫:坂口安吾「白痴」)読んでなくても、大丈夫です。

坂口安吾「白痴」みやりが短歌にしたもの

降り注ぐ修正液を避けた晩はじめての正寒すぎる今朝
ふりそそぐしゅうせいえきをさけたばんはじめてのせいさむすぎるけさ

③「元の小説がなにか」を知らせずに交換する

④ お互いの短歌だけをよんで短歌→小説にバックトランスレーション
(作:立夏

実際にハヤブサでバックトランスレーションされた坂口安吾「白痴」


 ものを書く才能がないことに気がついてからもう十年以上経っていた。

 しかし自分から文筆をとったら何も残るまい。だから続けていくしかないのだ──そんなふうに開き直るには、私はすでに色々なものを獲得しすぎていた。手元の金も貯金もそれなり。仕事も平凡な苦労はあるがその分着実に出世もしている。結婚もしたし、産まれた子供はもうすぐ小学校だ。心をゆるせる友人との縁もある。まさに人並みの幸せ。しかも現代ではなかなか達成不可能な人並みだ。私の知り合いにだってこれらが欲しくて一生懸命の努力をしているのにどうも手に入らないと嘆いているものたちは山ほどいて、彼らからしてみれば私は人生の最大の目標をおおよそ達成している状態だろう。

 それでも私はまだきっと、自分の幸せのために文章を書いている。

 遅々として進まない真っ白な原稿用紙を眺めながら。自らにとっての新しい発想が、世間一般にとってはしょせん凡百なものだと予感しながら。自分の文法がただしい日本語作法を逸脱していることから目を背けながら。その無作法は稀代の才能ゆえと言い訳をしながら。それらのありあまる欠陥を自覚してもなお、それでもおのれの人生の愉悦と満足のために文筆を追求しよう──そんなみじめな勇気で自分と誰かを騙しながら。

 これを書くことは私にとってとてもおそろしいことだ。
 実際ここまでの言葉を書くのに私は、一年の月日を必要としている。

 ああ、自分に才能がないことはとっくに知っている。勉強不足も分かっている。私の文章を読んでくれる友人たちが内心面白がっていないとして、それもかまわない。
 そんなことより私が心底おそろしいのは……、そんな自分のつくったものが……、ああ、いけない。これを書くことが心底恥ずかしいのだが……、エエイ、書くぞ、書いてしまえ。つまり、一番オソロシイのは私の文章が私にとって……、いつまでたっても面白いってことなのだ。
 周りの評価や客観的な事実がそうでないにもかかわらず、私には私の文章がどうしても傑作で、挑戦にあふれ、快感にみちた読書体験になりうるとしか思えないことなんだ。才能も知識も作法も知らない私の文章が、面白いはずはないのだ。それでも私の頁をめくる私の手が、文字を追う目が、行間を読み取る脳が、こころにいつまでも詐欺をはたらいている。コレはイイゾ、タノシイゾ、お前は百年に一度のテンサイだぞ、ツマラナイという奴がみんな狂ってるんだぜ、だから負けるな、ガンバレ。

 ……忌々しい。こんなに目のくらむことがこの世に他にあろうものか。

 時計の針を見ると、丑三つ刻をとうに過ぎていた。目の前には、日没のころにはまっさらに新品だったはずの原稿用紙がおぞましい本心のインキで犯され、見るも無惨な姿を窓から差し込む誘蛾灯のあかりの下に晒していた。
「負けるな、ガンバレ」ダッテサ。こんなことをこの歳で書くようなヤツがあるか、馬鹿。もうだめだ、だめだ、修正液、修正液、修正液。
 しかし私の右手はすんでのところで修正液を握ってくれない。手が思い通りに動かないのだ。無論私は身体不虞ではない。これは笑った。不虞は私の脳味噌だ。本心を書くことにまんまとしびれ、消すな、もっと書け、正しいことを、私の心にとって正しいことを、と命令している。蜘蛛の糸に絡めとれられたようにびくとも動かない右手を見ながら、引き裂かれるような羞恥心で私は夜が明けるまで笑った。笑いながら、涙をとめどなく流しつづけた。やがて空からは小さく雪が降り始めた。おそらく早晩、今年最初の積雪となろう。

 追伸:
 もし自分の文筆のちからが著しく向上し、あるいは社会的な評価をえられるような奇跡が起こるとする。その奇跡と引き換えにならば、金も仕事も伴侶も子供もすべてくれてやろう。

ハヤブサ感想戦(⑥ 相違点をたのしむ)

まずは立夏の感想

 ご覧いただきありがとうございました。原作小説を一度短歌にしてもう一度小説に戻す文筆フォーマット越境バックトランスレーション「ハヤブサ」いかがだったでしょうか。ハヤブサは語感です、特に意味はありません。
 このあとの感想対談でもちらっと話しているのですが「もしかしてこれは安吾なんじゃないか」という感覚を振り払うことには苦心しました。お相手のみやりさんが安吾大好きなのは知っていたし、なんなら私、持ってますし、「白痴」。まだ途中までしか読んでなかったのでセーフでしたが、読了してたら気づいてしまっていたかもしれません。読むのが遅くて助かりました。
 いただいた短歌は三十一文字という制限の中に「晩/朝」や「修正液/正」など様々なモチーフの対比が詰め込まれていて、まさに「裏の大きなドラマを下地にした短歌」という感じがしました。三十一文字なのに、三十一文字以上のものを感じさせる──短歌というフォーマットの制限を腕力でなぎ倒す非常にたくましく硬派な仕上がりです。そんな仕上がりの質感がバックトランスレーション小説でも損なわれないように文体を工夫してみました。
 ここから先は、それぞれバックトランスレーション小説を読んだ後のみやりと立夏の感想戦です。この感想戦も含めて「ハヤブサ」の醍醐味だなあと思いましたので、もしよろしければ最後までお付き合いください。ではどうぞ。

みやりと立夏でハヤブサを終わってみての感想を語り合いました。
短歌と小説それぞれの書き手を逆にした「第三者」の記事はこちら

みやり立夏の感想戦

ハヤブサをやってみてどうだったか

みやり「曖昧すぎて申し訳ないのですが、読む能力みたいのを発動した感じがありました。情報を受け取る力というか。」

立夏「実は一番大変だったのが、最初みやりさんにルールを説明したとき。こういう小説→短歌→小説という逆翻訳行為は(『Monky Business』とかの)文芸誌などでされています。私はそれらを事前に読んでいるから楽しみ方を知っている。でもそれらを読んだり取り組んだりしたことがない人に対して、どういう部分に面白みがあるのかとかを伝えるのが難しかった。それこそ最初にハヤブサにお誘いしたやり取りの中で『どうなれば正解なのか』というニュアンスのことを聞かれた記憶があって。『正解とかはないの!ほんとに!』って。」

みやり「そうですね。ハヤブサ自体の面白さはなんだろう、未知の文章感覚でしたね。」

バックトランスレーション小説『白痴』を
作るにあたってどんなことを考えたか

立夏「じゃあ、まずはみやりさんの書いた『白痴』の短歌を元に私が小説にバックトランスレーションする上で、気が付いた点や注意した点を言いますね。短歌内に『修正液』という単語を見つけた時点でそれが比喩ではなく作中のモチーフを使ったものだと推察したので、作家の話にしようと思いました。また短歌の中に『晩』→『今朝』という単語が書かれていたので、晩から朝にかけての時間の流れを物語の中でリアルタイムで表現しようと思いました。また『修正液』『はじめての正』も『間違い(を修正して)正しくする』の対比からの変化と解釈して、小説に表現してみました。」

みやり「そうだったんですね。」

立夏「そこで、短歌を書いたみやりさんとしては『白痴』を表現する上で、どのようなことを重要視してあの短歌を作ったのか聞いてみたいです。」

みやり「あまり今朝が寒すぎるからであった。という(原作『白痴』の)最後の一文をそのまま短歌に持ってこようというのは最初に決まりました。なので、下の句の寒すぎる今朝をオチとして、どう構成するかという。で、下の句の片割れとして、次が物語のハイライトでもある主人公の伊沢と白痴が初めて通ずるところですね、これをはじめての正。正という文字に頼りましたね。このお話のいろんな要素を内包しているのかなと。で、下の句が決まったので次は上の句なのですが下の句が情緒的なので、上の句は景色にしようかなと。で、物語の中ではあの動物園のような町内が火の海になるところが、先ほどの通じるシーンと繋がるのでこの景色にしようと。で、そのまま爆弾がふってきた、という形にすると小説に変換する時に制限となってしまうのかなと愚考しまして。爆弾しばりといいますか。それで比喩として、修正液が降ってくるという形にしました。が、後から考えるとバクダンと片仮名表記にしたり、もう少しやり様はあったかなあと。」

立夏「修正液が原作小説の爆弾の比喩だったのは気づかなかったな~。」

みやり「物語で浮かぶ情景をいかに転写できるかという辺りを意識して短歌を作ってみました。」

立夏「あとは……今だから言うんだけど、あと、もしかしてみやりちゃんは坂口安吾なのかもな…と一瞬頭をよぎっていた。みやりちゃん、好きだから、安吾。でもこれはいかんいかん『ハヤブサインサイダー』だと思って、すぐ頭から払いましたが……。」

みやり「作品の選定もやり取りの中のひとつになるんですね。書いてから気づきましたが。」

立夏「入る。入るね。」

『白痴』選定と短歌を作るにあたって
どんなことを考えたか

みやり「『白痴』を選んだ理由として、この逆翻訳は心の機微をとらえるゲームなのかなと解釈しまして。別のフォーマットに変換された情報で何言ってるかわからんけど、通じる、というのは、白痴の小説のなかに近いものを想起しまして。また、物語としても心象に重きを置けるので、情報として芯を食いやすいかなと。」

立夏「うん。」

みやり「いただいた(バックトランスレーション『白痴』の)小説を見て、ある晩に男の中でうねりが起こり、寒すぎる朝を迎えたというその景色が(原作『白痴』に)似通っていたことに、びっくりしました。」

立夏「それは『第三者』でみやりさんが書いた小説を読んだときも思いました。なんか、原作それぞれのムードや雰囲気はいずれもちゃんと残っていた。それはお互いが選びそうな作品の個性を無意識に知っていたとか、ふたりとも短歌を製作するときのムードを伝えることを重視したってのもあるんだろうけど……でもこれは短歌側と小説側、二回の翻訳者がちゃんとバトンを渡さないとゴールまで到達しないことだったから、相当自画自賛なのですが、こりゃすげえな。」

フォーマットの個性、
短歌の強み、小説の強み。

立夏「ハヤブサをやる前とやった後に印象が変わったことはそれで『あ、意外と原作の面影残るんだ』ってこと。もっと、バッドエンドの作品がハッピーエンドになったり、ポジティブな物語がネガティブに転んだり、作品の風合いみたいなものまで変わるかもと予想していたんだけど、これは予想が外れました。」

みやり「私も、やってみると意外に要素が復元できていて不思議でした。」

立夏「一方で、原作小説が持っていたモチーフ……白痴でいう『爆弾』とか、あとは具体的な物語の起承転結や登場人物の描写、世界観の設定周りはどっちもバックトランスレーション小説になったときに丸ごと落っこちたね。これは書き手の適正もあるかもしれないけど、大部分は小説・短歌それぞれのフォーマットの得意不得意によるものだなと今は思っている。」

みやり「はい、短歌で物語性を載せるのは難しいと思いました。」

立夏「短歌は起承転結とかを描くのは不得意。けど反対に情景、季節あるいは一瞬の出来事をクリアに書くのはとても得意だとおもう。だからムードは継承された。数ある文章フォーマットの中で、得意分野が写真の特長に近いのかも。今回、バックトランスレーションは2000〜3000文字くらいとしたんだけど、」

みやり「はい、そのあたりが(小説の文字数の)良いレンジかなと思いました。私のなかで短歌の情報で膨らむマックスがそれぐらいですね。夕焼けの公園の短歌を読んでみて、お婆ちゃんと一緒に遊んだ公園とかを思い出すのが限界脳内字数というか。」

立夏「まさに。それ以上増やそうと思うと『短歌の内容から連想した短歌そのものには書かれていないこと』を足す感じになっちゃうかも。」

みやり「なんか接続としての短歌のディテールが見えてきた感はありますね。短歌は時間の粒度ととして、超長期間か、一日ぐらいしか個人的には現しにくいと感じます。出逢って一月とかは、難しいかな。恐竜絶滅した!とか今日の仕事ヤバかった!とかなら……。」

立夏「もちろんみやりさんの言う通り、ただ単に『不得意』というだけで、あくまで『できない』わけではないんだよね。短歌は文字数の少なさを利用して余白をうつくしく取ることもできる。31文字で悠久の時の流れを描いたような優れた短歌も多いんだけど……って、ここで例がすぐ出せたらかっこいいよね〜でもすぐはでないよね~あるんだけどね~。」

ありがとうございました。

「原作小説選/短歌作」と「バックトランスレーション小説作」の役割を入れ替えたバージョンがみやりさんのnoteに掲載されています。そちらもよろしければ併せてご覧ください。




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