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【連載小説】日雇いと愛(1話)

父が失踪して母親に女で一つで育ててもらった。ただ感謝しているとは思えない。母親は家に仲間を連れ込みお酒を飲み散らかし、部屋はタバコのヤニまみれとなり、僕の知らない男と遊んでいた。僕は将来のことを考えるのを放棄していた。そしていつのまにか高校を卒業してしまった。大学進学するお金も頭もなかった僕は何も考えず東京に上京した。

東京に行けばなにかが変わると思っていた。

一人暮らしは心地よかった。あの嫌い続けた人達が飲んでいた酒も部屋には散らかっていなかった。村社会特有の仲間意識もない。昼まで寝ていても誰も文句を言わなかった。自分は自由になり自立したと思えた。そして社会を見下していた。

僕は近くのフランチャイズ展開している定食屋でアルバイトをすることにした。あいかわらず何も考えていない僕はその場に時間が過ぎればお金が振り込まれるくらいにしか考えておらず、仕事をするってことが全く理解できなかった。

お客さんが食券機から購入した食券を回収してお水を持ち運び、トッピングなどを聞くのだ。そして厨房に持っていく。商品ができたら厨房から商品をお客さんに運ぶのだ。僕は混んでくると動揺してしまうことが多く、お客さんから君は鈍臭いとよく怒られていた。

「田辺くん!!…ちょっとこっちきて!!またクレームだよ。今月何回目??」
甲高いおばさんの声が休憩室から聞こえてきた。バイトリーダーの松井さんだ。
「あ….あ…すみません」
「だから君は無愛想なんだって、接客業なんだから愛想良くしないと」
「すみません」
「何回も伝えているのに聞いてくれない。水を出すのが遅い。お客様から何回もクレームが入っているの。もっと要領良くやって」
「でも…お客様の言っている内容がわからないときは聞き返すようにって」
「何回も聞き直したらお客様だってイライラするでしょ。パッパとオーダを確認して。わからないときは何度も頭を下げるのよ」
「頭下げました…」
「もっと下げるよ!!!」

僕は硬直してしまいその日のバイト中に何をしているのかわからなかった。

次の日は仮病で休んだ。そしてその次の日に電話で辞めますと言い、やってられるかよ。そう電話を切った後に捨て台詞を言い残した。

インターネットで誰にでもできる仕事を検索した。するとイベントスタッフという派遣の仕事が目についた。引っかかったページを読んでいると基本的に立っているだけで通路案内だけすれば良いらしい。場所にもよるが座っているだけの場所もある。イベントスタッフこそ僕の天職だと思い応募してみた。簡単な面接だけして働けるとのことだった。前の職場が悪かっただけで僕は認められた気分になり高揚した気分で家に帰った。

僕は何回か働いてみて思ったのはとにかく東京のビルは高い。現場現場でそのビルの大きさ、高さに驚いていた。そして僕はいつも通路案内をした。やることは簡単で最初の説明でトイレの場所など、来た人が質問しそうなことをリーダー的な人が僕たちに教えてくれるのだ。あとは軽く会釈したり、こちらになります。と一言声をかけるだけで良かった。

繰り返し出勤していると休憩中にリーダーの人に声をかけられた。
「田辺くん。結構現場でてくれるね。ありがとう」
「いやいや…」
「田辺くんっていくつなの」
「18です」
「そうなんだ。じゃあ俺の1個下かな」
「えぇ!!」
名前の知らないそのリーダーの人は19歳らしい。僕は若くても25歳。もしかしたら30歳くらいと思えた。それは老けているということではなく、むしろイケメンで誰からにも話しかけられていて中心人物だった。そして滲み出るオーラというか…自信というか…責任感というか。言葉には言い表すことはできなかったがとにかく僕と1歳しか変わらないとは思はなかった。

「田辺くん。どこ大??」

僕は答えられず黙っていた。この質問をされるたびにドキッとしてしまう。東京では若い人は大学に通っているのが当たり前らしい。そしてそうじゃなければ正社員で働いているという認識が普通。そうでない人はみんなやりたいこと。世間では夢と呼ばれるものを持っていていつも意気揚々と僕は語られ続けてきた。そしてそのどこにも属さない僕は部外者になる気がしていた。そもそも大学に通っていても自分より頭が良いか悪いかを内心競い合っているように感じている。大学に通っていない僕はいつも劣等感を感じることになった。

「俺は〇〇大」
「…すごいですね…」
「わかる??」

それから彼の自慢話を永遠と聞くことになった。僕はただ相槌をしていたが何を言っているのかさっぱり理解できなかった。きっと彼のいうとおりたくさん勉強しそれは社会に評価されるべきことなのだろう。そしてそうじゃない僕は社会からはみ出した部会者なのだ。彼は満足したのかまるでW杯で優勝に導いた伝説の監督のような後ろ姿で立ち去っていった。

あぁ…全然休憩できなかった。結局どこの職場でも同じな気がしてしまった。

どこのアニメもドラマも歌もテレビCMだって肩書きを気にするなって言っているのに。大切なのは心じゃないか。大人も社会も嘘つき。東京ではそう感じることばかりだった。いやそんなこと内心気づいていた。けど目を背けていた。僕が社会を見下していた理由はそこだったかもしれない。

本当は苦労したくないだけ。怠けたいだけ。あの嫌いだった人達とどこか違うんだろう。もしかして、一緒。いやむしろ働いてる分社会ではあんな奴等の方が評価されてしまう。

僕は死にたいと思った。

それからの僕は日雇いで働くことにした。とても重いものを持たされたり、仕事で色々と指示されることはキツかった。一緒に働いている人はアルコールが抜けていないおじさんだったり、襟足の長いヤンキーみたいな人だった。田舎にいた頃、見下していた大人に見えた。みんな会社の悪口、上司の陰口、芸能人の不倫の話をしていた。内心しょうーもないと聞こえないふりをしていたのだが唯一その仕事は続けることができた。上司やお客様に笑顔の厚化粧をする必要もない。休憩中に仲間内に大学のマウント合戦することもない。僕は怯える必要がなかった。

休憩中に顔見知り程度の周りの人から山田さんと呼ばれている人に声をかけられた。
「田辺君。ここの派遣長いね」
「あっはい」
「居心地の良いぬるま湯に浸かっていると湯でカエルになるよ」
「はい?」
「俺もここの派遣長いんだけど、年齢的にももうどこも雇ってもらえないんだよ」
「はぁ…」
「理由もなく派遣でずっと働いていたら必ず君もこっち側に来るから。そのときは待ってるね」

初めて恐怖を感じた。定食屋の松井さんに怒られているときも、イベントスタッフのリーダーにマウントを取られたときも僕はどこかでこの人達が悪い。社会が悪いって言い訳してきた。しかしこの人は違う。この人は君ももうすぐこっち側だよね。と教えてくれたのだ。そしてこっち側にきたのは君の責任だよねと。

次の日僕は日雇いの現場を断って近くのハローワークについて調べた。思いのほか歩いて10分程度のところにあった。僕は自動ドアを遠くから眺めていた。

怖い。

きっと要領の悪い僕はまた嫌な思いをすることになる。松井さんのような人に怒られる経験もするかもしれない。それは散々社会を見下しておきながらもう一度社会に戻してくださいってことだ。

怖くて。恥ずかしい。

けどもっと怖いことがある。

それは人は楽をしたくてどこまでも落ちていけるのだ。

一歩一歩だ。今日就職を決める必要なんてない。僕はあの環境にいてもお酒に溺れていない。タバコだって吸っていない。それは人にマウントを取れるほどのことではないけど密かな僕の自信だった。僕の高校の周りの人はきっと僕が嫌いだった大人になっていくのだろう。お酒を飲み散らかし、周りに迷惑をかけ続け、自分が恥ずかしいことをしていると気づかずに地元のルールに縛られてあの人達は死ぬのだ。もちろん僕の母親やその周りの人も。けれど、それでも僕は東京に行くことにしたのだ。たとえ何も考えていなかったけど、心のどこかでこの人と同じ空気を吸いたくないと思っていたのだ。それは立派な自分の意志だった。筋金入の不器用だけれども、きっと僕も松井さんから教わったようにちゃんと頭を下げたら働かせてくれるかもしれない。イベントスタッフのリーダーが言ってたみたいに少しずつ勉強したら見える景色が変わるのかもしれない。


僕はようやくハローワークの自動ドアの前に立つことができてゆっくりと中に進むことができた。

続く


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