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私が寝たきり”ゼロ”を目指そうとしたきっかけ

こんにちは、リタポンテの上村です。私たちは、新宿区でリハビリ特化型デイサービスを運営している会社です。まだまだ足らずの会社ではありますが、地域のみなさんが『その人らしく』生きていくための支援を微力ながらやっている会社です。

リタポンテとは、”リタ=利他”と”ポンテ=ponte”(イタリア語で架け橋という意味)を組み合わせた社名です。

『人によかれ』と人を想い行動し、想いを架け橋のように繋げ、繋がっていくみんなが幸せになるようにと願いを込めております。

さて、なぜ寝たきりゼロを目指すのか…

私は学生時代、いわゆるスポーツバカと言われるぐらい部活を一途にやり続け、大学時代までやりきりました。その後、この学生時代の経験を活かせる仕事、スポーツをする人を支えたいと思いトレーナーを目指し、リハビリ助手として病院に就職しました。そこで、対象とする方々は病気や怪我、痛みを抱える患者さん・・・しばらくすると、少しでも身体に関する知識を深めたい、技術を身につけたいと思うようになり、いろいろ調べた結果、理学療法を学ぶ事にしました。”リハビリテーション”という意味も知らず、ただただ身体機能について勉強したいとの思いでした。

理学療法を選択した理由は、西洋医学で医療であるということ、検査、測定、レントゲンなど裏付けを元に身体に起こっている原因がわかることが一番の理由でした。

医療について、学生時代の病院のイメージは、病院に行っても『しばらく安静してください』と何もしてくれない(語弊ですが、当時は思っていました)場所という認識で(苦笑)。部活現役中は鍼灸院や整骨院などの先生に、病院での診断を伝え、練習を続けるため、動くために必要な治療はもちろん、対処やメンテナンス方法、今後の行先、予防方法などについてアドバイスをもらっていました。これは、今、私がご利用者さんと向き合う中で、一番大切にしていることにつながっています。

理学療法は国家資格であり、受験資格を得るために決められたカリキュラムを履修する必要があります。そのカリキュラムの中に実習があります。実習先は病院がほとんどで、様々な病院があります。その実習先で『人間らしさ』って何なんだろう・・・と悲しくもなり、怖くもなり、寂しくもなり、なんともやりきれない、衝撃的で整理できない光景を目の当たりにしました。

それは1ヶ所の実習先(病院)だけの話ではなく。

それぞれの病院の病室、大部屋に長期的に入院されている患者さん・・・当時、社会問題のひとつであった社会的入院の人たちでした。

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各関節が固まり、体が硬直し、自分で寝返りできず、痩せ細り、口があき、うなっているような声を出し続けている寝たきりの方々のベッドが大部屋に並んでいました。着替えやおむつを替えるにも、関節が固まっているので難しく、食事というよりは栄養補給としての点滴・胃ろう、入浴ではなく衛生面を保持するために体を拭くなど、そこには『人間らしさ』心で感じて行動することがなくなっていることに生きている意味があるのか、大袈裟に言うと、”生きている価値を感じているのか”と衝撃を受けました。

なぜ、こんな状態になるのか…

進行性の病気で動けなくなる、突然の事故により動けなくなる、致し方なく寝たきりになってしまう理由はあります。しかし、そこでお会いした患者さんの中には、寝たきりではあるものの、声にできなくて目配せして何かを伝えようとする方や、動く意思があっても誰かの助けがないと動けない、そのためスタッフが来ることを待ち、動く機会が減り、身体機能が低下して動けなくなる方、転倒すると骨折のリスクがあるため自ら動くことを病院側も致し方なく禁止するなど、意思はあるにも関わらず、いろいろな環境から動くことができず、寝かせきりにならざるを得ない状況から寝たきりになってしまったケース。これは、本人だけの問題ではなく、病院の体制や経営の問題であったり、労働環境の問題、家族の問題、その後の受け入れ先の問題など、様々なことが重なり合って起こっている事態。誰かを責めても改善することのできない負のスパイラルの結果なんだろうと学生ながらに感じました。

負のスパイラルだから仕方がないのか、これが良いのかと思うと決して良くない。果たして、最後をこのような形で終わることを望んでいる人がいるのか、これでいいのか、医療や介護ってこれで良いのか。患者さん、ご利用者さん、関係スタッフ、みんなが”人らしく”生きているのかに疑問を感じたものでした。

何か良い方法はないのか、できることはないのか…

寝たきりゼロを目指したい根底は、ここから始まっています。リハビリテーション『再び適合させる、復権』の手段の一つである理学療法を通して、いろんな方々と出会い、感じ、学ばせていただいたことを、現代の超高齢社会の課題解決の一法として役に立ちたいと思うことと、この記事を目にしてくださった方々に少しでも想いが届いて、ほんの少しでも構わないので、それぞれ意識してもらえることで問題解決につながっていくと信じて、その想いをnoteに記していこうと思っています。