力落ちました

夏休みは, コロナウイルスの影響があって禅寺に出向く訳にはいかないので「おうちで」修行をしようと志しております. 実際におうち修行を始めたての今, 率直に感じたことです. 
※ note の投稿は, 第一幕として昨年度の夏休みに一ヶ月間禅寺で生活した「ショートステイ」の日記, 第二幕として12月の一週間を利用して参加した「臘八大接心」についての体験記に続く, 第三幕「おうち修行」とシリーズ化しています. ご興味のある方はバックナンバーと合わせてお読みいただけますと幸いです. 

1日が長い

まず, 何よりもおうち修行を始めたことで1日は格段に長くなりました. 夏休みが始まって2日目ですが, もう2, 3年夏休みをやっているような気分になりました. 盛りました. しかし, それくらい充実感はUPしています. 日の出前におきて, 三食の飯を食って, 溜め込んでいた仕事をこなし, 掃除をして, 散歩に行く. 文章にしてしまえばとても普通な響きですし, がきんちょの頃は親に促されてこういう休日を過ごしていました. (今では僕が親に促しています. )大学生になってからはこういった当たり前の生活を送ることができなくなってきました. そしてたるんだ生活は, 気分的な問題だけでなく体力にも影響することがわかりました. やっぱり, 午後になったら眠くなりますし, ちょっと動こうと思っても暑い, を言い訳に動きたくなくなります. 単純に修行不足が否めないですが,,,, この傾向は昨年の夏に比べても顕著で緊張感もあいまってか, できていたことが明らかにできていません. あせります. ちょっと気合いを入れて体力を取り戻さなくては, と戒めております.  

繊細さにかける

体力の衰えは, 自分の行動が大雑把であることからも感じました. 食事をしたら毎回食器を洗って乾燥させますが, 夜ご飯も食べるなら溜め込んでもいいか, とか思っています. 掃除にしても部屋の角の埃までこだわってやりたいのですが, 結局掃除機が届くところで終わっています. 禅寺では, 「お坊さんはね, 掃除ができて一人前なんですよ. 」と初日に教わりました. 坐禅やお経や僕がそれ以前からイメージしていた技術的なことは全く求められず, ひたすら掃除をするのでした. そして掃き掃除一つをとっても僧侶の方のようにうまくこなすことはできないのでした. そんな大事な掃除を気持ちが向かず諦めているようでは, 坐禅が瞑想が足りていません. もうちょっと気合いを入れて時間も増やして自分に向き合ってもいいのかと思いました. そして, 大学の講義を通して学んだことですが, この繊細さは工業製品の模型を作るとき, パワーポイントで資料を作成するとき, レポートで論理を立てるとき, 全てに共通して求められる素質です. だからこそ座禅をやめることはできません. 

でもいい説

ただ, この事態をネガティブなことではなく, むしろプラスに捉えることもできるかと思います. 接心を終えたとき老師は, 「寺を一歩出たらあなたは社会人なんだから, 修行を離れて自分の好きに忠実になって生きなさい. 」という言葉を送ってくださいました. ここで言う「自分の好き」は, いつまでも寝ていることを言うのか, はたまた趣味や仕事として認められるレベルのことを言うのかわかりません. それを一々聞いて解決しようとも思いません. 結局何が言いたかったのかは結果的に理解したいからです. この態度も修行で学びました. 話を戻すと「自分の好きなこと」ですよね? なんでしょう, やっぱ修行でしょうか?

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