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『哲学思考トレーニング』②     ーさまざまな文脈ー

3.さまざまな文脈

さて、前回は伊勢田哲治氏の『哲学思考トレーニング』をもとに、クリティカルシンキングの一連の流れのうち、「1.心構え」「2.議論の明確化」についてまとめました。

今回は「3.さまざまな文脈」について、まとめていきます。

ここでいう「さまざまな文脈」とは、クリティカルシンキングが行われる文脈を指しています。以下の引用にあるように、日常生活において求められる知識の確実さのレベルは、場合によって異なります。

ですから、さまざまな文脈を知っておくことによって、場面に応じて文脈を使い分け、適切な措置をとれると考えます。

われわれの生活は、一方の端に知識の確実さをまったく求めない場面があり、他方の端に知識の絶対的な確実さを求める場面があって、その両方の間にさまざまなレベルでの確実さを必要とする場面が存在する、というような、一種のスペクトラムをなしている。
文脈主義とは、あることを知っているかどうか、ある主張が妥当かどうか、といったことについての判定は、その判定を下す文脈(何のために判定するのか、判定が間違っていたときにはどうなるのか、など)によって変わりうるとする立場である。言い換えれば、同じ人の同じ主張が、判定を下す側の文脈で妥当とも妥当でないとも判断できる、という可能性を認めるのが文脈主義である。

⑴ クリティカルシンキングが行われる文脈

①哲学的な文脈

◎経験も論理もすべて疑うような文脈(デカルト的懐疑)
・デカルトの方法的懐疑とは、疑いうるものについてはすべていったん判断を停止して、絶対確実に真だとわかるものだけを受け入れるという立場

・方法的懐疑にもとづいてクリティカルシンキングをするということは、絶対確実は前提や推論だけが妥当である、という基準を採用することに等しく、あらゆる主張について判断停止したままになるという結論を招き、最終的に方法的懐疑がクリティカルシンキングそのものを破壊しかねない

・しかし、できるだけ確実なものから出発して確実な情報をあやふやな情報をより分けていくという方針そのものは、クリティカルシンキングの一つの基本的な考え方として参考にすることはできる

・「何を前提として認めれば、どこまでを『確実』の側に含めることができるのか」を一歩一歩明らかにしていくプロセスは決して不問な作業ではない

◎論理は疑わない文脈
・少なくとも論理的に見て間違いないと判断された推論の妥当性については認めるという、演繹論理の規則にしたがう立場
(演繹論理の詳細は「5.推論の検討」で説明します)

②科学的な文脈

◎反証主義を厳密に適用する文脈
・反証主義とは、反証可能な仮説を立てようとすること。積極的に反証しようと試みる科学的な態度を求める

・データと突き合わせることでその仮説が放棄されることがありうるというのが反証可能の状態。反証主義では逆に仮説が放棄されることがありえないのなら、その仮説は反証不能で「科学的」ではないことを意味する

・「科学的ではない」とは、仮説自体が、仮説と明確に矛盾する証拠を提出しえないようなかたちで述べられていたり、原理的にはそういう証拠がありえたとしても、その仮説の信奉者がなんとか言い抜けて事実上反証とならないようにしてしまったりする場合も含まれる

・いったん仮説をつくると自分の仮説に愛着を持ってしまい、その仮説を否定するような証拠を認識するのが難しくなってしまうため、自分の仮説と距離をとるための手段として、その仮説の反証条件は何か、そして反証条件を満たすような証拠はないかと考える習慣を持つのは非常に有用

◎やわらかい反証主義を使う文脈
・反証主義は強力であるために、自分の理論にとって不利な証拠を前にすると、言い抜けをしたり、無視したりされることも多い

・そこで提案されるのが「やわらかい反証主義」であり、いかなる言い抜けも禁止する反証主義の考え方を少しゆるめた立場である

・疑似科学のように非生産的な言い抜けばかり繰り返すのではなく、新しい実験や観察につながるような生産的な言い抜けならばよいとする

◎確率的な推論を認める文脈
・統計的な証拠をはじめとして、確率を使った推論

・「演繹的に妥当な推論」の条件は満たさないけれども、前提が正しければ結論が正しい確率が高い、という若干弱い条件は満たされる

③倫理的な文脈

◎すべての価値主張を懐疑の対象とする文脈
・何がよいか、何をするのが正しいかに関するすべての主張に対して、本当にそれが善い(正しい)のかどうか疑う立場
・価値的議論は価値的前提をもつ実践的三段論法(下記)を用いて表現可能

 大前提:ものを盗んではならない←一般性の高いカテゴリーの価値主張
 小前提:盗作はものを盗む行為の一種である←一般的カテゴリー内の事柄
 結 論:盗作はしてはならない←特定の事柄にも同じ価値主張が相当 

・ただし、大前提も価値主張である以上、それを正当化する議論を組み立てようとすれば別の実践的三段論法が必要になり、無限連鎖に陥る
 ↓
 ↓ 4つの回答
 ↓
a 実際には基本的な倫理問題については文化間や哲学上の立場で大きなくい違いはないと答える(例:人を殺してはいけない)
b 倫理的合理性を示す(例:社会契約)
c まじめに受けとらない
d 文脈主義(現状をそのまま受け入れるのと、全部疑うという両極端の間で、一定の範囲内で批判的に吟味するという立場)を採用する

文脈主義を導入して、倫理的な規範などの価値主張を批判的に検討する手法
ⅰ 基本的な言葉の意味を明確にする
ⅱ 事実関係を確認する
ⅲ 同じ理由をいろいろな場面にあてはめる
ⅳ 出発点として利用できる一致点を見つける

◎普遍化可能性という基準を認める文脈(上記ⅲ)
・同じ大前提があてはまるけれども結論がひっくり返るような場合が存在するのではないかと考え、いくつかの場合について検討する普遍化可能性テストを行って、普遍的な基準を採用する立場

◎誰もが認める一般原理は出発点として受け入れる文脈(上記ⅳ)
・違う文化に属する人や違う価値観を持つ人であっても、二人の人間があらゆる面で意見がくい違うということはないため、倫理的な中間点を探すという立場(例:ものを盗んではいけない)

・ただし、場合によっては出発点となった判断自体が修正されることもありうる(例:薬を盗む以外に相手を助ける方策がない)。この場合、例外として、出発点となって規則も修正が加えられることがありうる

④日常的な文脈

◎権威による議論や伝聞を受け入れる文脈

⑵ 文脈的思考のツール

①関連する対抗仮説(特定理由の要件)と基準の上下

◎関連する対抗仮説
ある問題についての対立する主張(対抗仮説)がいくつかあるときに、まじめにとりあげる仮説とまじめにはとりあげない仮説をより分け、まじめにとりあげる仮説(関連する対抗仮説)の中で、自分の主張が他の仮説と比べてもっともすぐれているということを示せれば、その主張は妥当だとみなすのに十分だとする考え方

・その対抗仮説が正しいのではないかと考えるはっきりした理由がある場合にのみ対抗仮説は関連性を持つという「特定理由の要件」によって、ある対抗仮説が関連するかどうか判断する

◎基準の上下
・要求される確実さのレベルを文脈によって上げ下げし、それに見合った証拠が得られればその主張は妥当なものとみなすという考え方

②立証責任

・二つ以上の対立する主張があるときに、自分の立場が正しいということを積極的に示す責任

・AとBという二つの立場が対立していた場合、そちらにも決め手がないときにでも、全体的にAのほうがもっともらしいとなれば、Bに立証責任を帰する理由となる。また、特殊な主張をしている側や、特別な行動を要する主張をしている側に立証責任が生じる。もしその主張が正しければ容易にそれが立証できるはずの側に立証責任を帰するということもある

・ある文脈である倫理規範に立証責任がないということになれば、その規範は倫理的懐疑主義の手を逃れ、倫理的懐疑主義を全体としては維持しつつ、日常的な文脈での行動不能も避けられる

例:生きる意味についても、「意味がある」ことを示すほうに立証責任を求めるつづけるなら「生きる意味などない」ということになりそうだが、「生きる意味がない」と考えるほうに立証責任を求めるなら、(中略)生きる意味についての常識的見解(多くの業績を残して死ぬような人生は少なくとも有意味な人生である、等)は、反対する証拠がない限りは維持されることになる

③反照的均衡

・すでに一致できているところはできるだけ手をつけず、それでも不整合が生じたら、できるだけ無理の少ない方向で修正を加えること

***

以上が「さまざまな文脈」についてでした。
硬めの用語で表現されていると日常生活から遠いものの考え方のように見えますが、実は無意識に行っていることも多いように思います。
自分が「この考え方は弱いな」というものを意識的に試して、思考の整理に使えるといいですね。

次回以降で、「4.前提の検討」「5.推論の検討」を紹介いたします。またお付き合いいただければ幸いです。

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