鬱病でした。Part.5

お久しぶりの鬱シリーズ更新です。

更新の期間が空いた理由としては、私がただ単に書く気分にならなかったからです。
いつも、このシリーズを書くときはいつも夜中に過去を思い出して少しブルーな気分になり「気持ちの整理も兼て書こうか」と思ったときでした。
noteは、私のなかで趣味のようなもので、いつも気が向いたときに書きたいことを書いています。

※↓前回Part.4です。


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この鬱シリーズをPart1~4まで読んでくださった方でお気づきの方もいるかもしれませんが、
このシリーズは先ほど書いた通り私の気の赴くままに書いているので、あまり計画性をもって書いていません。
時系列ではないし、説明を伴う細かい描写も少ないです。
私がぽつりぽつり思い出したことを、書いていっています。
これは私の備忘録でもあります。

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今この時間も、一秒一秒時間が過ぎ、その分一秒一秒私の人生における「過去」という時間が増えて去く。
「過ぎて去く」から、「過去」なんでしょうか。

過去は現在からしか振り返れない。
故に現在という存在があるからこそ、過去が成り立つ。

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3月17日、スナックアフターファイブ「鬱病ナイト」にゲストママとして参加させていただきました。

スナックアフターファイブについてはこちら
⇒ https://www.facebook.com/snackafter5/

その夜は、め~っちゃ簡単にいうと、鬱病についてみんなで語り合うというもの。

そこで、参加者の方から
「どうして病院行かなかったのか」
「不登校とかにはならなかったのか」
「どうやって自力で治したのか」
など様々な質問をいただきました。

今回はその質問を答えていこうかと思います。
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「どうして病院に行かなかったのか」

私は精神科には行ったことありません。
理由としては、
中学生の時の移動手段はほとんど、徒歩か自転車、または車に乗せてもらうこと。近所に精神科は無く、車でしか行けないところだった。
また携帯も当時持っていなかったため、病院についての情報も少なかった。鬱のことは家族にも学校の先生にも話してなく、事情を知って協力してくれる大人がいなかった。

そもそも、カウンセラーの先生に頼ろうとは思わなかった。
中学生という時期もあったのでしょうか、親しくない大人に自己開示するのに抵抗がありました。また、親に鬱のことをバレるのが嫌だったのもあります。バレたら更に関係がこじれるのではないかという思いがありました。
だから、学校のスクールカウンセラーの先生にも相談しなかった。

お母さんはどう思うのだろう。今の関係上、治すのに協力的になってくれるとは思えない。それどころか、私が鬱だという情報は新しい攻撃の要素として使われるかもしれない。自分が主な原因ということでショックを受けるだろうか、いや、それも父親のせいだと責任転換するかもしれない。
と、色々考えました。

きっと大人をそこまで信用していなかった。
思春期というのもあると思うし、今まで当たり前のように信用し、当たり前のように味方だと思っていた家族・親という存在が今は私を苦しめているというのもあった。

そんなこんなで、私は精神科に行ったこともないし、カウンセラーの先生に相談したこともない。

何故、鬱か分かったのかというと、パソコンで調べた鬱病に症状に当てはまっていたから、という案外確証の無い話になってしまうのだけれども、

憂うつ、気分が重い、気分が沈む、悲しい、不安である、
イライラする、元気がない、集中力がない、好きなこともやりたくない、
細かいことが気になる、悪いことをしたように感じて自分を責める、
物事を悪い方へ考える、死にたくなる、眠れない。

参照:厚生労働省HP
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_depressive.html

上記<自分で感じる症状>が全て当てはまるということは、鬱だと疑いようがないだろう。
どのくらいの信憑性があるのかは分からないが、ネット診断というものもある。質問に五段階で答えていく診断で結果の点数が高ければ高いほど、鬱の可能性も高いというもの。
その結果、一般は10点程度のものだが、私は55点。重度の鬱だった。

特に<集中力がない>に関しては、こんなエピソードがある。
やる気も起こらない、何事に関しても良い方向に心が動かない。故に学校の授業もやる気も興味も湧かず、ぼーっとするか寝てばかりいた。

今思うと、本当にやばい人だと思うのだけれど、
道路を渡るときも、
信号が青→渡る 信号が赤→止まる という判断を普通する。
けれど、当時の私はそれすら
集中力がないのか、判断するやる気が湧かないのか、頭がぼーっとしていたのか、平然と赤信号を渡りかけ、幸い一緒にいた友達が驚いて阻止するということがしばしばあった。
友達もびっくり、赤信号を渡っていた自分にもびっくり。
こういうことも起こるから、本当に鬱って怖い病気だ。

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「不登校とかにはならなかったのか」

家庭が原因だったから、家にとにかくいたくなかった。居場所もない、落ち着ける場所もない、信用できる人もいない、窮屈で不愉快で孤独な場所だった。
一方、学校には友達がいる!
大人を信用していない代わりに、友達は信用していた。
家でどんな辛いことがあっても、明日学校に行けば友達に会える!
親友にまた話(愚痴に近いw)を聞いてもらおう。

学校は友達に会えるという意味では心の支えだったから不登校にはなっていない。
もちろん、鬱の症状としてやる気が起きないから朝起きて準備するというのは結構大変だった。しかも、部屋から出ると母と顔を合わせないといけない。特に前夜の影響で泣き腫らした顔で学校に行くのは抵抗があった。
それでも学校に行った。行くしかなかった。家にいたら気が狂う。

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三つ目の質問
「どうやって自力で治したのか」については、おいおい書こうと思います。

今日はこのへんで。
読んでいただきありがとうございました。

では、また。

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※↓Part.6です。


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