【追想】亡き祖父に寄せて「願わくは、我に七難八苦を与え給へ」最終回

葬儀の日も相変わらずの猛暑で、慣れないスーツの下に滝のような汗を掻いていた。
小学生の頃の夏休みにはよく祖父の家に遊びに行ったものだったが、見慣れたその道中に葬儀場があった。子供の頃は縁もゆかりも無いと思っていた建物にお世話になるのだ。

親戚一同がほぼ同じ時間に集合し、落ち着いた様子で会話をしていた。その中には祖母もいた。小さい体でどこへでも歩いていた祖母も、今は叔父が押す車椅子に乗っていた。

私はこの1年半の月日の重さを改めて感じた。仕事の大半がテレワークになり、外出や旅行も控えていた私の時間は止まっていたが、祖父や祖母に残された僅かな時間は、確実に減っていった。そして、我々の時間だって等しく減っていたはずなのだ。

葬儀は静かに始まった。大往生と言える祖父の葬儀に悲しい空気はなく、優しい空気だけが会場を包み込んでいた。お坊さんがお椀のようや形の「りん」を鳴らすたびに、私の心が夏の空に広がっていくような気がした。
皆、一様に穏やかな表情で葬儀は進んでいった。

家族だけの葬儀だったので、お焼香もすぐに終わり、棺が部屋の真ん中に運ばれた。愛読していた日経新聞や、大好きだった酒、うなぎの蒲焼や、メッセージを書いた手紙を入れたりした。お調子者の弟は「ちゃんと渡りきるまで酒飲んじゃだめだからな?」と言ってみんなを和ませた。
花も一通り入れ終わると、最期のお別れの時間になった。

一人一人が優しく微笑みながら、祖父の顔を見ていった。そして最後に祖母が車椅子から立ち上がり、棺を覗き込む。
そして、静かに泣きながら、両手で祖父の顔を包み込んだ。
「本当に、本当にお疲れ様」

私と弟がほぼ同時にハンカチを取り出し、揃って壁の方を向いた。「お疲れ様」の言葉の力に、涙を堪えることができなかった。
普段は意識しないが、こういうところは兄弟で本当によく似ていると認めざるを得ない。

その後は火葬場に行き、棺を見送った。棺が焼かれるまでの間、私は建物の外に出ることにした。缶ジュースを片手に壁に寄りかかり、空を眺めていた。入道雲が浮かぶ、夏の空だった。

祖父の人生の全てを、私は知ることができない。それでも、七難八苦を願い、雲染む屍となる決意を見出した夏の空は、今でも私の目の前に広がっている。
祖父と歩いた公園の木漏れ日も、祖父の苦難に満ちた青春も、私の淡い青春も、何もかもが夏の大空に広がっていた。
茹だるような、果てしなく青い、どこまでも広がる、永遠の大空が、いつの日も答えをくれる。
太陽にかざした私の手の指が、今でも祖父の手の温もりを覚えている。

(おわり)


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