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【終活】老い支度が進まない。なぜ??

みなさんこんにちは。りりすけです。

数年前からエンディングノートをはじめとした、
「老い支度」がメディアでも取り上げられるようになりました。

私は仕事柄「老い支度」について講演を行うこともあります。
その中で、皆さんがイメージする「老い支度」と私のイメージしている「老い支度」にギャップを感じることが多いです。

ですので、今回は「老い支度」の中でもエンディングノートについて触れていきます。


老い支度はつらい作業である。

これは大前提として話します。
老い支度は本当につらい作業です。
そして、簡単な作業ではありません。

つらい作業なんて当たり前じゃないか。
なぜそんなことを今更。
と思う方もいるかもしれません。

その通りです。
まだ生きている、人生を楽しんでいるのに、
自分の死について正面から向かい合わなければならないのですから。
私自身、自分のことを考えただけで胸が詰まりそうになります。

でもどこかで、
いつでもできる。
と思っていませんか?

正直に言います。
つらい作業がいつでもできるはずがありません。
ましてや、一気に出来るはずもありません。

どうしても時間がかかるものなんです。
なぜなら、あなたが思う以上に考えないといけないこと、決めないといけないことがあるのだから。

いつでもできる。
この認識だけはどうか、捨てておいてください。


何のための老い支度なのか。

では「老い支度」は何のためにするのか?
おそらく、

亡くなった後の財産の整理。
自分の葬式を希望通りにして欲しい。

と考える方が多いのではないでしょうか?

もちろん、それも正しいです。
ただ、生前、つまり生きているうちにも意味を持たせることができます。
むしろこっちの方が意味合いは強いと思っています。

一体どう言うことなのか?
ここについてもお話ししますね。


誰のための老い支度?

生きているうちに意味を持たせる。
それはどう言うことなのか。

自分が亡くなったあとの事は、
自分自身ですべて自由に出来るわけではありません。

つまり、遺言の中に書いていない事は
誰も分からないですし、なかなか汲んでくれません。

ただ、それを解決に導いてくれるものがあります。

それがエンディングノート。

エンディングノートは、
遺言のような法的な拘束力はありません。
目的は別にあります。

それは自分との対話を増やし、家族との対話を増やすこと。

死後は誰かに面倒を見てもらわなければなりません。極論、誰かの手間をかけさせるわけです。
それは基本的には家族になってくるわけです。

自分の死後を希望通りにしようと思うと、
遺言には書ききれなかったものや、
自分の生い立ちや大切にしていた価値観、
死後連絡を入れて欲しい友人など、
知っておいてもらわなければなりません。

すると、家族との対話は不可欠ですよね。

そして、遺言に書けないものもあります。
それは家族への想い

「ありがとう」などの感謝は伝えられるかもしれません。
ただ、あなたをこう想っていた。大切に想っていた。
なんて恥ずかしくてなかなか言えないのでは?

死後でもその想いをエンディングノートで伝えることができます。

もし自分がその想いを知ることができたら、
恐らく嬉しい気持ちになるのではないでしょうか。

目的が重要

死後の事はなかなかコントロールできません。
ただ、意味を持たせることはできます。

家族が困らないように整理をするため。
自分の葬儀などを希望通りにするため。
家族に自分の想いを伝えるため。

いろんな意味がある中で、
何を目的にするかが重要になります。

まずはその目的探しの一歩として、
エンディングノートから老い支度を始めてみてはいかがでしょうか。


今回も最後まで見ていただき、
ありがとございました。

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