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静かな生活を選択せざるを得なかった?結果と願望の映画「PERFECT DAYS」

ネタバレなし考察

役所広司演じる渋谷区のトイレ清掃員、平山の生活はいたってシンプルで毎日ほぼ同じルーティーン。何度も繰り返される一日の描写は一見静かで退屈な繰り返しにも見えるけど、トイレに出入りする人々、同僚で後輩の若い男、その男が片思いしている女性、神社で木と踊る老人、行きつけの飲み屋の主人、本屋の店員、平山の妹、姪っ子、居酒屋のママ…とあらゆる人間とのほんのわずかなやり取りで無数の変化が生まれていく。

平山はとても無口な男なので会話は極端に少ない。ただそれがかえって一つ一つのやり取りの動きに集中することになり、たった一言で平山の表情の変化を追っていく面白さがあった。私は平山の過去についてとある人物が発した単語で察したのだけど、考察を見てもそれほど言及している人はいなかった。以下ネタバレで考察していく。

※以下↓ネタバレ考察※



平山の妹が平山に向かって「お父さんはもう色々分からなくなってる」と言う下りがある。色々分からなくなっている、というのは恐らく平山の父は認知症のような病気を患っているのかもしれない(か、単に老衰か)平山の妹は高級そうな車に乗っていて(運転手付き)身なりも上流っぽい落ち着いた雰囲気がある。ここから元々の平山の家柄はかなり裕福らしい、と予想できる。会話の雰囲気から、平山と父親の関係性は絶縁レベルなのだろう。他の方の考察を見ると「平山は大きな会社の跡継ぎなだったのでは?」というものが多かったが、私の考えはちょっと違った。

一瞬だったので聞き違いだったら申し訳ないけど、平山の妹は「本部に来て」と言っている。『本部』という単語は『ヤクザ』を想起させないだろうか?これは私が最近ゲームの「龍が如く」を見過ぎているからか願望がかなり入っているような気もするが(笑)、もし平山の過去が極道だったとすると、昔はヤクザらしいめちゃくちゃで派手な生活していたけど、今は反省して正反対な生き方を?あるいは身を隠すように生きている?というところまで考えてしまった。

現在の穏やかで静かな生活は選択せざるを得なかった結果、なのかもしれない。しかし日本版キャッチコピーにもあるように、『こんなふうに生きていけたなら』というのは(無意識かもしれないが)平山自身がそんなふうに生きたい、と強い意志を持っているから観客も共感するのではないだろうか。そう思うと一見単調に見える平山の日常について、三浦友和との会話でしぼり出された「何も変わってないなんて、そんな馬鹿なことあってたまるか」という言葉はかなり重みを増す。どんなに他人との交流を最小限にしても、人間は他人との関わりで少しづつ変化していきたいと願うものだろう。

ところで今作は劇中のサントラも平山の生活ルーティンさながら、音楽のリズムのように一定のテンポで繰り返されていく。平山の車の中にはカセットテープが詰まっていて、名曲だらけ。それぞれの歌詞がその場面の感情に合っている。(参考は以下のリンク先)

ラストでニーナ・シモンの「Feeling Good」が絶唱しながら感情をあおりまくるので、平山の表情を見ながらハラハラと泣いてしまった。

そして渋谷区のトイレはこんなに沢山のクリエイターによって作られた“芸術品“だったのかと驚いた。

さすが世界に誇る日本のトイレ。

そういえば何気ないシーンだったけど、飲み屋の主人の一言はかなりの至言だった。
野球と宗教は人それぞれだから
皆が皆この考えなら、世界はだいぶ平和になるのになぁ・・・。

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