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城のある街

城は江戸時代までのわが国の姿を残しています。城には独特な雰囲気と歴史があり、日本を実感するには非常によい場所であると思います。しかしながら、わが国の城は木造であるために、西洋の石造りの城と異なり保存してゆくことが難しく、また明治維新のときに江戸時代のものを次々破壊したため、当時の姿を保っている城は非常に少ない状況にあります。ただ、天守がなくとも、城の構成や石垣、城下町から感じるもの多いのではないかと思います。ここではこれまで訪れたいくつかの城、そしてその周辺を北から語ってみたいと思います。

現存12天守の一つ、弘前城は桜の名所です。天守とお堀に映る桜はわが国の春の象徴でしょう。

弘前城と夜桜

現存天守とは江戸時代以前に作られ、その後、修復されつつ保存されてきた天守で、現在では12天守あります。

弘前城は江戸時代に作られた天守がそのまま残っています。2015年から2016年にかけて曳家で天守を移動させ、石垣の修復が行われたことでも有名です。弘前は雪がまだ残っている時期、道路脇に雪が壁のように積み上げられているのを見て、教科書に載っていた写真通りだなぁと思った覚えがあります。

お堀に映える桜かな

東北には仙台の青葉城址、平の磐城平城址、そして会津の若松城もあります。関東では、吊り天井の宇都宮城址、江戸城址、小田原城などが有名です。

中部で最も有名なのは名古屋城でしょう。でも名古屋城は鉄筋コンクリートです。壮観ですが、情緒はありません。

それに対し、サイトウ・キネンで有名な街である松本には、現存12天守の一つ、松本城があります。現存12天守では唯一の平城。明治初期にはこともあろうに競売にかけられ、解体の危機にさらされましたが、地元民がそれを阻止したそうです。明治時代には地盤の影響で天守が傾き、明治の大修理が行われました。松本市民が守ってきた城なのではないでしょうか。

松本城

松本城の天守に登ると街と山々が一望できます。他の天守と同様に急な階段を登り降りしないといけませんが、松本から見る飛騨山脈は雄大です。松本は大東亜戦争での戦災を免れ、松本城以外にも開智学校など昔の建物が残っています。

さて、東海道に移ると、人知れず存在する掛川があります。掛川は、こだましか停車しないので、名古屋や新横浜から間違えてひかりやのぞみにのると一生たどりつかない街なのです。

掛川城

掛川は戦国時代には要衝として重要だったために掛川城が作られました。いまの天守は初の木造復元天守なんだそうです。

京都には二条城があります。

二条城

二条城は大政奉還が行われた場所です。江戸時代はここで終わったのです。それは、京都の終焉も意味します。東京に首都が移ったためです。それ以来、京都はもはや日本の中心ではなくなりました。いまでは、一部を除いて、ただの観光地になっています。

空から見ると御所と二条城が目立つ、碁盤の目の京都

一方、金沢は加賀百万石の伝統を引き継ぐ街で、兼六園と金沢城が有名です。江戸時代には江戸、大坂、京につぐ規模の街で、大東亜戦争のときの戦災からもまぬがれたため、昔の面影を残しています。

金沢城址、石川門がみえる

金沢城は明治以降、帝国陸軍が使っていましたが、戦後は金沢大学がおかれていました。当時の関係者は毎日登城していたのかと思うと、少々羨ましい感じもします。寿司も有名です。

金沢で食べた寿司

金沢は小京都と呼ばれることを拒み、独自の世界都市を目指しているのだそうです。武家社会だったので、当たり前なのかもしれません。近隣には自衛隊小松基地もあり、わが国防衛の拠点でもあります。

小松空港は民間と自衛隊が共用する滑走路をもつ

太平洋方面に戻ると、大阪城と和歌山城がありますが、いずれも鉄筋コンクリートです。そして、もうちょっと西に行くとわが国最大規模をほこる現存12天守の姫路城があります。

暴れん坊将軍でよくでてきた姫路城は大きい

姫路はたいして大きな街でもないし、有力大名がいたわけでもないと思います。しかしながら、このような世界に類をみない素敵な建築を現代まで残した市民が素晴らしいのだと思います。

さらに西に進み、岡山に行くと、後楽園と岡山城という公園と城の組み合わせを見ることができます。

後楽園

後楽園は野球場ではありません。きれいな庭です。偕楽園と兼六園と並ぶ、わが国がほこる庭園であります。

桜の時期には花見客でにぎわうが、そんなに混んでいない

岡山城の天守は戦災で失われ、鉄筋コンクリートで再建されています。

岡山城

そして岡山は鰆が有名。路面電車も走っています。

また日本海側に戻って見ましょう。松江城があります。松江城は現存天守です。松江城も地元の人々によって解体を免れました。

松江城天守

明治の一般庶民はまともだったんだと思います。松江城も松本城も、明治政府が一国一城とか廃城とか法律を決めても、それに盲目的には従わず、価値のあるものを守ってきたのです。ルールはルールなどという一部の愚かな現代日本人に言ってきかせたいところです。

ところで、松江は中国地方にあります。いいかえると、わが国には中国という地名が古来からあるのです。従って、大東亜戦争後に作られた中華人民共和国を中国などというべきではありません。支那もしくはチャイナと呼ぶのが正しいでしょう。

海を渡って四国には、夏目漱石や正岡子規で有名な松山に松山城があります。

松山城

松山城には立派な石垣があります。ほぼ垂直な高石垣です。昔から日本人の技術はすごかったんだなぁと思いました。天守は姫路城と同じく、連立式できれいな様相を呈しています。
松山城へは歩いて登ることもできますが、リフトかゴンドラで行くこともできます。松山城のふもとには宇和島鯛めしで有名な丸水があります。

宇和島鯛めし

萬翠荘という洋館、坂の上の雲ミュージアムに愛媛県庁と見るべき建物も多いです。

最後は九州の熊本城です。

修復中の天守

熊本城も鉄筋コンクリートですが、2016年の熊本地震で大きな被害をうけ、筆者が行った2018年はまだ復興途中でした。

崩れて空間が空いた石垣

見にくいですが、石垣が崩れ、間があき、建物の真下が空間になっていました。

加藤清正の本妙寺の階段途中も崩れてがたがた

上熊本の本妙寺も石塔が倒れたままでした。いまこのノートを書いているのは2022年の年末ですが、直っていればいいですね。

みなさんもたまに機会があれば城に行ってみるのも良いと思います。


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