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「ちむどんどん」への視点の変化
朝ドラは観ると決めている時(クール)と、観ないと決めている時がある。で、ちむどんどんはヒロインの黒島結菜ちゃんが好きで観ることを決めた。
でも、ヒロインが大人になって、ストーリーが進むにつれ、だんだん面白くなくなってきた。登場人物が次々トラブルに見舞われることと、そのトラブルへの対応がまずくて、ドミノ倒し的に災難に見舞われること。とんでもないトラブルになるにもかかわらず、周囲が手助けして、まるで何事もなかったかのようにストーリーが進行すること。
自業自得感と周囲への甘え感をつよく感じてしまって、朝からモヤモヤする気持ちになることが多くなって、「もう観るの、やめようかな」という感じになっていった。
それでスッキリしたくて、#ちむどんどん反省会 なるものを読んで溜飲を下げたりしていた。のだけれど。
先週の頭くらいに、ふっと気がついた。
これはダメ人間賛歌なのだ
ダメ人間賛歌と書くと、表現が悪いかもしれない。
このドラマのベースにあるのはアンチ自己責任時代なのだ
うん。このほうが私の考えていることに近い表現かも。
自己責任と自業自得は、本来、ニュアンスの異なる言葉だと思うのだけれど、自己責任というワードが幅を利かせるようになってから、自業自得とごちゃまぜ感を帯びてきて、「迷惑をかけたくない」という言葉があちこちで聞かれるようになった。
自己責任というワードの出現前の「ひと様に迷惑をかけちゃいけない」というのと、出現後の「迷惑をかけたくない」の“迷惑”は、ずいぶん中身の違うもののように感じる。たとえば年老いて、子どもや親しい人、支援者を頼ることは「ひと様に迷惑かけちゃいけない」の迷惑とは意味が違う。「いや、うちの親には迷惑かけられているよ」という人もいるだろうから一概には言えないけど。
そういう意味で、今は“平気で迷惑をかける人”と“ぜったいに迷惑かけたくない人”が二層化していて、その間にいる人たちが極端に減っているような気がするのだ。つまり適度に迷惑をかけあいながら、助けたり助けられたりするような関係が減少している。
このドラマ「ちむどんどん」は、そういう自己責任時代に対するアンチテーゼを描いているのではないか?
ふと、そういう考えに至った。すると、ドラマの中で繰り返し出てくる「相手の存在の全肯定」の意味が私の中にゆっくりと染みてきた。それまでは「このドラマに出てくる大人はヒロインたちのような若い世代をずいぶん甘やかしているな」とか、ヒロインの母親に対して「借金しても平気な顔している」とか思ってきた自分の“感想”の色合いが変わってきた。
自分がいかに“自己責任時代”に染まっていたか
そういうことを自覚させられた。家族や親しい人には「迷惑だなんて思ってないから頼ってね」と思いつつ、私の根深いところには自己責任論がしっかり入ってしまっている。それって、私の日ごろの立ち居振る舞いに反映されていて、身近な人へのメッセージとなって、冷たい色を放っているのではないか。そう思うとぞっとした。
無意識なので、質が悪い。口では「頼ってね」と言いつつ、言外ではNOのメッセージを出していたかもしれない、だなんて。
本当にこのドラマがアンチ自己責任をテーマに描かれているのかは分からない。これは私の仮説だから、この後、エンディングまで観たら間違っていたということもあるかもしれない。
もし、私が感じたアンチ~が正しかったとして、それにしても登場人物たちの振る舞いは不愉快なほどデフォルメされているし、雑な部分が多い。その不愉快さゆえ、ドラマを観る人が減ってしまうようでは本末転倒だな、とも思う(本当に描きたいテーマが伝わらない)。
タイトル「ちむどんどん」(ワクワクで胸がいっぱいになる)と、観終えた時の視聴者の感情がかけ離れているし(笑)。戦後の沖縄が描き切れているとも思わないし。ダメなところを挙げ始めたらキリがないけど。
アンチ自己責任時代を描くためのダメ人間賛歌が、物語として成功しているのかどうかも、正直わからない。でも、自分のことをダメだと感じている人たちへのエールというのを、この間のNHKドラマは繰り返し描いているように思う。「空白を満たしなさい」や「ももさんと7人のパパゲーノ」、広い意味では「カナカナ」もそうだし。
私も観た後のモヤモヤを何とかしたい!と感じているうちに、ドラマのテーマについて考えが及んだので、これが制作サイドの意図だとしたら「ハマった」ってことになるんだろうけど。
アンチちむどんどんの人たちが、私の書いていることをどう感じるのかを考えると、ちょっとコワい気もする。でも批判的に観るのも、好意的に観るのも自由なところがドラマの面白みだと思うし、感じたことを書いておかないと忘れてしまうので。
ダメなことをすることとダメな人間であることはイコールではない
だから自分にやさしく、ひとにもやさしく。
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