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「お弁当をつくる」と言ったら喜ばれた話

 生きてこそ、だなと思う。

 もう5年くらい前になるけれど、夫の親類が50歳という若さで亡くなった。自殺だった。亡くなる1ヶ月半くらい前に親戚の集まりで会った時には、そんな兆候は感じられなかった。訃報を聞いた時、私自身、精神科で働いていながら何もキャッチできなかったな、と悔やんだ。

 それ以来、夫の親戚はみな「がんばれ」と言わなくなった。根性論みたいなものも口にしなくなった。「生きてるだけで上等」というようなやり取りが多くなった気がする。

 だから私たち夫婦が揃って仕事を辞める(辞めた)と告げた時にも、とくに反対もせず「健康に気をつけて」というような言葉をたくさんもらった。ありがたいな、と思った。

 ある一人の死は、そんな風に親戚一同に暗い影を落とし、同時に独特の気遣いの種を遺していった。そのおかげで、私たちは責められることもなく、温かく見守ってもらっているのだ。

 夫が中程度のうつ状態から抜けて、再始動し始めたことに私は安堵し、嬉しくも感じていたけれど、こういう時こそ落ち着かなければならない。彼よりも先に走らないように。少し遅れて、後を付いていくくらいのペースを自分に言い聞かせなければ、と思う。

 夫が始めた仕事がどうか よりも、夫自身を気遣えるように。

 今日から始まる夫のアルバイト。「お弁当を作ろうか」と言ったら、想像以上に喜ばれた。これまではお弁当など作ったことがなかったけれど、いま私は無職だし、夫のアルバイト先に昼食が食べられるところがあるかどうか分からないので、何気なく放ったひと言に、夫が本当にうれしそうだったので、逆にちょっとプレッシャー(笑)。

 とりあえず今朝、バタバタとお弁当を作って、玄関先で夫を送り出した。

 初日は大変だろうけど、どうぞ今日一日、おだやかに過ごせますように。

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