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思い出し怒り

 しばらく実家に帰っていて、ようやくnoteに戻ってきた。この間、親せきや夫の同級生と会って、仕事を辞める経緯を尋ねられた。

 しがらみがなくなったので、元 職場の上層部のことが信頼できなくなったと正直に打ち明けた。そんな話をしているうちに、その上層部に対する怒りが戻ってきた。

 思い出し怒りだ。

 ふだんは思い出し怒りほど、エネルギーロスなものはないと思っている。たとえ自分の怒りが正しいとしても。
 過ぎ去ってしまったことを思い出して、ふたたび怒りの炎に息を吹いて、燃え上がらせるようなことをしても、何も生まれないし、どこにも行きつかない。

 怒りの矛先がまだ目の前にいて、これからも付き合っていかなければならなかったり、今も目の前で腹を立つ言動をされている場合は別だけど、私はすでに彼らに見切りをつけた。彼らの下で働く自分が好きになれず、もう仕事を辞めて、彼らとは会わないことを決めたのだから、わざわざ思い出して、腹を立てる必要はないし、それは全くもって無駄でしかない。

 だって、こちらが思い出し怒りで嫌な気分になっていたとしても、相手にとってはそんなこと知らないわけで、何のダメージにもなりゃしない。じゃあ、この思い出し怒りが誰のダメージになるのかといえば、もう自分がダメージを受けるだけなんだよね。

 そういうことが分かっているので、思い出し怒りをしないようにしてきた。彼らを許したわけではない。許す/許さないは、まだそこに囚われてエネルギーを消耗するだけだから、もうその次元を離れる。自分のエネルギーは、自分の好きなことに費やしたいから。それが自分を大切にするということだから。

 そういうことが分かっているのに、話をしているとうっかり“思い出し怒り”の渦に巻き込まれかけて、溺れそうになった。危ない、危ない。

 思い出し怒りから距離を取るにはどうしたらいいか。それは
 「あ!私、いま思い出し怒りの渦に飲まれそうになってる」
 と気づくことだ。

 気づくことができれば、どうすればそこから逃れることができるかを考えられる。気づいていなければ、為す術もなく手放しで溺れるしかない。状況に気づいて言語化することが、私にとってはたぶん一番大事なんだと思う。

 今回は自分の家に戻ってくる道中で、夫にそのことを話してみた。そんな風に言葉にすると「もういいじゃん。終わったことだよ」と自分自身に声をかけてあげることができた。

 怒りって、本当に手ごわい感情だ。うっかりすると、あっという間に飲み込まれちゃう。
 みなさんもお気をつけくださいませ(←余計なお世話です)。


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