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若かった頃のエピソード

私が24歳の頃、ネットで知り合ったオフ会の後、別の日にカラオケに誘われた。
女の子が、別の男の子から私を誘うように言われたと聞かされた。

彼は2つ下の大学生だった。就職先は証券会社に決まっていた。私はフラフラしていた頃だったので、カラオケに参加し、皆で歌っていた席で、彼は隣に座り、私の手の上に手をおいてきた。帰りの電車で、また会ってほしいと言われたが、私は真剣に付き合う気は無くて、ダークで良ければ。と返した。

その後、何回か遊んだ記憶はあるが、面白くなくて退屈で、他に会っている女性の話もしてきたので、さらに面倒になってしまった。

仕事を転職することにして、実家に帰って、鬱っぽくなってた頃に、彼から電話があった。私は、もういいわ。と、捨てるような言い方をして、それっきりだった。私は余計な事をして、さらに疲れが増してしまったが、この頃は、こういう事が何回かあった。
というのも、おかれた現状に不満があり、逃げたかったからだ。

気分の波が酷かった頃は、仕事もプライベートも安定せず、どちらも転々とした。しかし、26歳になった時には、こういう生活がさらにしんどくなり、落ち着こうと元のパートナーのところに戻るのだが、そこからも、気分の波は2年ごとに私を飲み込み、私の人生を真っ直ぐには歩ませなかった。

両親も同様だったし、周囲の家族も同様、そしてパートナーも同様だった。
私が、気分の波が脳から起こっていることだと自覚していたら、もう少し違った選択ができたと思う。今も気分の波は朝に軽く、寝る前には重くなる。でも、これは気分の波だと思い返す。
鬱がひどかったら、受診するしかない。焦燥感や不安や、後悔などは、全て症状だ。ただ、疲労感がひどい時は、一時休むのが良い。シェルターで休むと、回復する。

この症状があると、時期的に軽躁になって、俗物的となり、軽鬱になって、仙人や僧侶のようになる。なぜ、自分が自分の本意とするところへ素直に向かわないのか、向かえなかったのか?自分が本当に必要としているのは何なのか?

本当はわかっていて、それでも紆余曲折してでも手に入れても、なお、手からすり抜ける。それが、この気分の波を持つものの宿命なのかな・・・と。

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