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【貴重】1985年QUEEN来日ツアーパンフレットの中身

これまで、ホイットニー・ヒューストン来日ツアーパンフレットの中身、

そして、「カルチャー・クラブ」初来日ツアーのパンフレットの中身を紹介していきました。


今回はパンフレット企画の第三弾として「QUEEN」1985年の来日時のツアーパンフレットを取り上げていきたいと思います。ちなみにこのパンフレットも母の私物です。

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ツアー概要

ツアータイトル:「The Works Tour」

パンフレットタイトル:「Kirin Sound Together QUEEN'85」

日程:1985年5月8日~5月13日

公演都市:大阪・名古屋・東京

全6ステージ(東京3回・大阪1回・名古屋1回)

詳細な日程と会場はこちらです。

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パンフレットタイトルからもお分かりのように、提供はキリンビール株式会社だということがわかります。

そして、ツアーの関係者一覧がこちらです。

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一行目をご覧ください。「ビジネスマネージャー」の欄にジム・ビーチ氏の名前がありますね!映画「ボヘミアン・ラプソディ」では「マイアミ」という愛称が付けられていたのが印象的でした。映画では最後までクイーンを支える良い人として描かれていました。

続きまして5行目、「パーソナルアシスタント」の欄にはポール・プレンター氏の名前があります!「パーソナルアシスタント」ということはやっぱり映画のようにフレディ・マーキュリーのお世話をしていたのでしょうか…?映画では、悪者として描かれています。

ここで、映画のクライマックスシーンでも描かれる「ライブ・エイド」との時系列を整理したいと思います。

1985年5月8日~5月13日=「The Works Tour」来日公演

1985年7月13日=「ライブ・エイド」

日本に来日した2か月後にライブ・エイドに出演していたということがわかります。


寄稿文(PROFILE/塚越みどり氏/鈴木豊久氏)

続いて、パンフレットに記載のあった興味深い寄稿文を抜粋していきます。

クイーンがロック・シーンにデビューしたのは、1973年のことだった。もう12年も前の話になる。当時、低迷気味だったブリティッシュ・ロック・シーンに突如彗星のごとく現われた彼らのサウンドとイメージは、大いなる衝撃を与えてくれた。レッド・ツェッペリンの後継者とうたわれたそのサウンドは、あくまで緻密でハード。そして独自の繊細でファンタジックな詩の世界は、ロックの新たな可能性を示していた。加えて「華麗なる貴公子」といううたい文句の通り、クイーンには、どこか高貴なイメージがあった。(中略)この12年間にベストやライヴを含め13枚のアルバムを発表クイーンの来日は、’75,’76、’79、’81、’82に次いで6度目である。(PROFILEより引用)

「レッド・ツェッペリン」の後継者と謳われていたのは知りませんでした。また、この時点で既に6回も来日しているというのは驚きました。


もう、誰が何と言ったって、クイーンは偉大なバンドだ、と思う。(中略)クイーンというグループは、プレイヤーとして、コンポーザーとして、素晴らしい資質と才能を持った4人のミュージシャンの集まりだ。“ブライアン・メイが好きなんだ。彼のことは尊敬しているよ” “ロジャー・テイラーはスゴ腕のドラマーだぜ。まったくグレイトさ!” “フレディ・マーキュリーが書く曲っていうのは、信じがたいね。到底、真似できないよ……” “えっ、何だって!?この曲はジョン・ディーコンが作ったのかい!すごくホットじゃないか!” ……数多くのミュージシャンの口から語られる、クイーンというバンドに対する賞賛は、何よりもストレートに、彼らの魅力と底力を語ってくれていると思う。(中略)今回の日本公演の前には、ヨーロッパ、全米ツアー、そして1月ブラジルで開かれた一大フェスティバル『ロック・イン・リオ』とかなり大掛かりなコンサート・ツアーをこなし、以前にも増してスケールアップしたステージ・セッティング、ライティング、それにショウそのものが、大変な話題を呼んだということだ。(ミュージック・ライフ 塚越みどり氏寄稿文より引用)

確かに、私も「この曲はジョン・ディーコンが作ったんかい!」と思ったことがあります。メンバーの4人全員がそれぞれ作曲しているというのは珍しいですよね。来日の前にツアーで世界を回っていたことも書かれています。この「The Works Tour」は1984年8月24日〜1985年5月15日という長期に渡る規模の大きなツアーだったようです。


我が親愛なるクイーン 1975年4月の初来日以来、ジャスト10年、彼らは日本に6度目の里帰りをする。73年の結成当時、母国イギリスのジャーナリストに想像もつかない、こっぴどい批判をくらっていた事を、若いファンは知っているだろうか?(中略)観衆こそが真の理解者としていた彼等、当初の日本での暖かい支援を一時も忘れず、再び我々の前に華麗な姿を見せてくれる。(中略)「ザ・ゲーム」、80年代のクイーンの出発である。サウンドならず、スタイルまで一新した彼等に多少なりとも戸惑いを感じたファンも多かっただろう。「ハード・ロックが僕達の終着点だと思って欲しくない」「ファンが望む事より、僕達が正しいと思った事をファンに与える」というフレディーの言葉が全てを物語る。(TBSラジオ 鈴木豊久氏寄稿文より引用)

80年代に入って変化したクイーンについて書かれていました。フレディの強いポリシーが感じられる言葉も綴られています。「サウンドならず、スタイルまで一新した」クイーンを見て、戸惑いを感じた経験のあるファンの方がいらっしゃれば、コメントで教えてください。

掲載広告

最後にこのパンフレットに掲載されていた広告を一部ご紹介します。

まずはツアータイトルにもありますように、アルバム「ザ・ワークス」の広告です。

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また、クイーンの「ファンクラブ」入会案内もありました。入会金500円、会費は6ヶ月で2000円。会員証、ステッカー、バッヂ、会報などが送られて来ると書いてあります。入会していた方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。

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次に、NECデスクトップパソコンの広告です。武田鉄矢さんが指揮棒を持って構えています。

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そして、KIRINの広告もありました。ここにもパンフレットタイトル同様に「Together」と書いてあります。

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今回の温故知新

クイーンの来日公演パンフレットを紹介していきました。

この1985年の来日公演は、映画「ボヘミアン・ラプソディ」で描かれている時代とも重なっています。映画で描かれていたのと同じ時代のクイーンをこのパンフレットから確認することができたのは興味深かったです。

また、この6回目のクイーン来日公演を「里帰り」と表現するなど、日本側も大歓迎していたということがわかりました。

クイーンの来日公演について思い出のある方は是非コメントにて教えていただけたら嬉しいです。

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最後までお読みいただきありがとうございました。See You!


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