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映画「日日是好日」をコロナ禍に見た

 映画「日日是好日」を見た。

 超ざっくり言うと、特にやりたいことが見つからない大学生の女の子が、茶道を通じて成長していく物語だ。

 茶道をたしなむ友人がこの映画を絶賛していて気になっていたのだが、上映期間に見ることは叶わなかった。ところが先日、会員になっている映画配信サービスで発見したのである。家に居ても映画を鑑賞できる、良い時代だ。

 新型コロナウイルスによって映画館に行けなくなり、自宅で鑑賞する機会が増えた。対面の仕事はオンラインになり、友人たちともネットでやり取りする。SNSのおかげで無料のコミュニケーションができるなんて最高なのだが、弊害もあった。
 あらゆる人の自己主張が、なだれのように目に入る。政治に対する批判、新型コロナウイルスに関する推論や意見、未来の予測など。
 なかには、「コロナウイルスは嘘で、存在しない」という言説を唱える人もいた。マジか。なぜそういう思考になったのかが気になって、その人のタイムラインを遡ってみたら「911のテロはなかった」と書いてもいた。マジか。「あれは見るからにCG」なんだそうだ。マジか…!

 実はその投稿をしていたのは友人だ。仕事熱心で明るくて面倒見のいい、私の大好きな友人だ。その友人がいい人であるのも真実だし、「コロナは嘘」と本気で言っているのもおそらく真実だろう。

 世の中で起こっていることを素直に信じられない理由としては、メディアへの信頼の薄さがあると思う。閲覧数稼ぎのための過激な記事や、真実ではない飛ばし記事が増えた。このくらいなら良いだろうというささやかな強調が、誇張へ、そして捏造へと変異してしまったように思える。また、真実を調べようと証拠探しをし始めると、本物を装ったニセのデータに行き当たったりもする。

 先の友人とはまた別だが、SNSでバズッた記事を見つけては「こんなことがあったらしいよ!」と熱弁する人もいる。いまや、ネット上の話題は私たちにとっては身近で、生活の一部なのだ。私も、ランダムに流れてくる記事が面白くて、ついついSNSのアプリを開いては眺めてしまう。でも、そのネット上の「何か」は本当に存在するのだろうか?

 私たちは、真実をどうやって見抜くのだろう。

 存在を確実に確認できる方法は、自ら体験することだ。しかし、それはあくまでも「自分にとっての真実」でしかない。

 さて、どうするか。

 そんな折、「日日是好日」を見た。四季を通じて茶道をたしなむにつれ、水と湯の音の違いに気づき、梅雨の雨音を感じ、花の移ろいに季節を感じ、掛け軸から風景を感じる。茶道は究極のリアリズムであり、感性を研ぎ澄ませていく伝統なのだと思った。

 茶道には、型がある。仕草、動作をひたすら体に落とし込む。
 ものさしに目盛りがあるように、型は、「真実と虚構」の境界線を示すレーダーになるのでは? そんなことを考えた。
 型は、習得が必要で、習得には回数を重ねる必要がある。
 私たちがみな共通して回数をこなしているのは、毎日の生活だ。なしくずしに時を過ごさず、意識的に生活を送ることが、混乱しないための基盤作りに役立つのかもしれない。

 日日是好日という言葉の解釈はいくつもあるが、(ただありのままに生きれば)すべてが好い日、という意味があるそうだ。この、カッコのなかにある(ありのまま)が、非常に難しい。
 だからこそ、茶道は自然を大事にするのか、と腑に落ちた。
 自然のリズムをメトロノームにして、日々の生活をしっかりと送ろう、と思う。

 雅な趣味というイメージをはるかに凌駕した、真実を生きるために必要な教えが、茶道なのかもしれない。

追記:
「日日是好日、すごく良かったなあ~」と思って監督を調べたら、これから公開する映画「マザー」の監督ではないか!!
気になっていた映画だったので、ますます見たくなった。


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