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【本の感想】車谷長吉『忌中』は劣等感を昇華しきれない作家の私小説と、反対に疾走する筆力の合作

車谷長吉さんの小説がとても良いよ、と勧められたので拝読。

読んだのは、『忌中』
一気に一冊読んでしまう、ページをめくる手が止まらない、暗くてどろっとして、どこかをえぐられる短編小説集でした。

車谷長吉『忌中』

最後のページでこの写真の意味がわかります

死んでも死に切れない―。泣く泣く妻を殺め、女に狂い借金まみれの挙句に自殺した初老の男。若くして自殺したエキセントリックな叔父の後日談。事業失敗で一家心中をはかり、二人の子供を道連れにした夫婦。強姦殺人の憂き目にあった高校時代の女友達。救済でもなく逃避でもない、死者に捧ぐ鎮魂の短篇集。

amazon編集レビュー

6篇入っています。
そのうち4篇は私小説なのかな?

私小説部分

私小説部分と勝手に名付けましたが最初の4篇は、捨てきれない作者自身のプライドと自我によって、文章に限界があることを感じます。

三省堂書店前での立小便とか

例えば、とある山手の上流家庭の奥様とその友人とのお付き合いのなかで、結局は実らなかったわけですが、女性への好意をやんわりと拒絶されたことによる自分への言い訳。
まぁ神保町の三省堂の前で立小便しているところを見られたって話があるのですが、なんだか言い訳がましくて、自分を曝け出すにしてもこの言い訳じゃないだろうと。

また、強姦殺人に遭ってしまった友人への鎮魂のような一編。必ず夫婦で写真を撮る日である結婚記念日にあたるけれども、その日は仕事の傍ら行けそうなので、高校時代の淡い恋の相手であった女性と共に行くはずだった古墳の頂上で祝詞をよむラストシーン。果たしてそれは鎮魂のためなのか、または自分への決着のためなのか、ここが私小説たる所以なのかもしれないが、無意識なる自己満足の域を出ていないのではないかなどと穿ってしまいます。

どこか自分を守る無意識なるバリア、のようなものを感じてしまうのです。
また、女性の描き方に若干パターン的なものを感じてしまい、もしや女性をあまり知らない方なのかしら?と失礼ながら。

それに対して、小説となったら筆が全く異なる。この差が面白いほどなのです。

三笠山

というタイトルの、一家心中に至る話です。
最後は事業の資金繰りが詰まり、子供2人を手にかけて自分たちも、という話なのですが(心中と編集レビューにあるからネタバレではないと)、この主人公の人生、全てお金によって狂わされるわけです。
お金がないことで、選択肢が狭まり悪い方悪い方へと人生が転がっていく。
それにしても、なぜ長島愛生園が出てきたのか、とか私小説部分もそうなのですが、らい病という言葉で何度か話題に上るのは、何かあるのでしょう。

忌中

最後に表題作です。これが1番読ませます。
リウマチの妻、自分のことを自分で何もできなくなって夫が全て介護している。
リアルなんです、夫婦のあり方、会話。
謝りながらどうしようもない妻の気持ち。
そして結局心中を選ぶわけです。
この本全体に共通する死は、それまでの物語を分断する存在でありまた、解決法として扱われています。
しかし死ねなかった夫。
ここでこの物語のもう一つの燃料が言葉の意味へのこだわりと言葉に縛られている主人公の姿が描きだされています。

結局、妻を茶箱に詰めたまま、やり残したことを破滅的に重ね、そして。という結末です。

まとめ

ここまでこの本の短編を通して、車谷長吉氏がどうテーマを切っていったのかについて簡単に考察してみました。
私小説、小説の別はなく、どちらにしてもただ事実を書いていたのでは小説とは言えないわけなので、特に三笠山と、忌中に関しては描写力と共にここにこれを差し込むのか!という驚きもある物語でした。

直木賞や三島由紀夫賞など受賞されている作家さんということで、他にも読み、自分がどのように感じるのか、トライしてみようと思います。

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