見出し画像

検察側の罪人(訂正)

得るものがなかった映画とか言いながらも、昨日の記事書いた後もモヤモヤとなんか考えてしまっている自分がいる。笑

以下ネタバレ多いので観てない方はお気をつけ下さい。


最上と丹野議員の戦う相手は共に話の通じないモンスター。自分とは全く価値観が違うから共感も理解もできない相手を納得させる事は不可能に近い。

それは太平洋戦争も同じだったという比喩なのか。
パールハーバーはその伏線なのか。

相容れない相手と戦う手段は突飛な攻撃しかあり得ないという事なのか。

丹野議員は自死をもって。
最上は殺人を犯すことをもって。
奇襲作戦を決行した。

手段は違うけれど話の通じない相手への攻撃。

どちらが正しかったのか。
どちらも正しくなかったのか。

ルールと秩序を重んじた沖野は正しかった?
沖野は誰も何も救わない道を選ぶしかなかった。
ルールと秩序では誰も救えないということなのか。

モヤモヤもや。

自分が最上の立場だったらどうするか。
もし自分の娘が殺されたとしたら。。

検事になった時点で松倉とどこかで会ったら絶対に逃さないと強い怒りを抱えながら過ごすのだろう。

自分から探しに行って捕まえたい気持ちを抑えるために禅や生活を戒め自分の怒りを飼いならそうと努力するだろう。

ギャベルを使って口を封じて牢獄に葬りない気持ちをコレクションとして暗い扉の奥に閉じ込めるのだろう。

そうして自分の中でうまく押さえ込んでいるつもりで生活している中に松倉が現れた。
反省して少しでも後悔していてほしいと誰よりも願っていたのは最上自身だろう。

そしてその期待は裏切られた。
誰よりも自分が直接話しをしたかっただろう。沖野のようになじって叫んで罵って、出来るならその場で殺してやりたかっただろう。

いや、もし沖野が松倉を罵ったあの言葉を聞いていたら少しは最上の心もガス抜きが出来たのかもしれない。落ち付け沖野、と。言っても伝わらない、言葉の通じない相手なのだと。。同じように感じる人間は自分だけでは無いのだと。自分だけが全てを抱える必要は無いのだと。。


それぞれのキャラクターに余白が沢山あって、見終わった後にそれぞれの立ち位置で色々と考えたり、その後のアナザーストーリーを考えたりと、色々思考を巡らせる事が楽しい映画なのかもしれない。

これは原作も読むしか無いなと思う今日この頃。


昨日の「何も得るものがない映画」は撤回します。
モンスターに会った時の自分の闘い方を色々妄想できる想像力を掻き立てられる映画でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?