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人生で初めて自分だけのゲームを買った

 授業が終わり冬休みになった。授業最終日のリモートを切ったあとはダイパリメイクを2時間以上やっていた。オンデマンドが残っていたのに。

  ダイパリメイクは発売してから1週間ほどYoutubeで予告映像やそれに伴っておすすめに出てきた様々な実況を見てやっぱ買おう。と買った。何かコメント欄とかを見ると今のポケモンは第〇世代とか、ダイパリメイクことブリリアントダイヤモンドシャイニングパールのことを頭文字をとってBDSP、万歩計に憧れたハートゴールドソウルシルバーのことをHGSSと呼ぶらしい。みんながみんな詳しいと思うな。と少し怒りも湧いた。
  種族値や努力値、厳選なども初耳だった。なんでもかんでも略す文化がここまで到達しているとは思わなかった。
 自分が知っていたポケモンはただ「かわいい」「かっこいい」「強い」と楽しむものだったと思う。その世代が大人になってあのころの気持ちを忘れてしまったんだなと時の流れを憂いたりした。なんかおいていかれているような気もした。いつまでも「アニメでの技が好きだったから」、とか「かわいいから」とかで選びたがる自分は幼いのだろうか。

 世代はダイヤモンドパールだ。ベストウィッシュもNという人物が出てくるくらいまではなんとなく観ていた。ポケモンの知識はアニメと日曜日の朝に幼稚園から見ていたポケモンサンデーの知識と『たのしい幼稚園』という雑誌で構成されている。あと今思い出したがマクドナルドのハッピーセットのおまけだった蛇腹式で広がる紙のポケモン図鑑だ。ポケモンの絵の下に身長、体重、タイプがマス目上に登録順に書いてあったものだ。

 ゲームはあまり理解のない家庭で、幼稚園の時は電気屋さん(家電量販店のこと)で上段のディアルガ、パルキアのパッケージを眺めていた。一部がDS(カメラがなくて閉じたときに四角の模様が縦に二つ並んでいたもの)を持ち始めたときにそれを持っている一人の友人が我が家に遊びに来て開口一番「ゲームないの?」といってその人が想像していたのはマリオ的なものだろうに家になぜかあったありえないほど動作の遅いPSなんとか(だと思う)で蚊をつかまえるゲームを立ち上げることになった、という思い出があるのが小学1年生か2年生だ。その友人は親が忙しかったかで割とゲームを買い与えてもらっているような家庭の子だったからそこまで思う必要はないだろうなとは思うが、当たり前のように「ゲームないの?」と言われたときは「あ、もうゲームってないと仲間はずれなんだ」と思った。その人は低学年で引っ越してしまったからもう顔もよく覚えていないがたぶん当たり前の顔をしていたと思う。

 時は流れて「DSi」が出た。何よりも驚いたのは色がビビットになったことだった。濃いピンクや蛍光色のような緑があった。この頃にはみんなの手の中にギラギラしたその色が見えるようになった。たまに紺もいた。あと最近オードリーが好きでTwitterなどでエピソードを見ることでDSiの宣伝をオードリーがやっていることを知った。Youtubeにもあった。記憶がない。

 まあそのあともチャンスがなかったわけじゃないが、お金を貯めてWiiやWiiU、スイッチといったゲームを買うほどの熱はなかった。

 ずっとなんとなくゲームは欲しかった。

 ダイパリメイクの発売を聞いた時に「あの青春を取り戻しに行きたい。」と思った。(ダイパリメイクも地雷メイク的な新しいメイクだと思った。)おそらく今の考えすぎる自分に飽き飽きして(おそらく悩みもあったと思うが)純粋に目の前の楽しいことだけをしていたあの頃に戻りたかったのだと思う。

 結局スイッチライトから買った。家族に内緒で買った。家族はおそらくゲームをしないと思ったから。バイトをしていないから高額商品を買うといったら怒られそうだったから。内緒で買いたかったから通販などの方が安いだろうが家電量販店で銀行からおろした現金で買った。もともとクレジットカードも○○ペイも不勉強でほとんど利用せず現金で払うこと自体は珍しくない。レジで銀行の封筒から画面保護フィルム、ソフト代も含めての3万円を取り出した。ここにもあえてレジでお年玉のポチ袋からお金を出していた小学生のときのようにしたいという意図があった。

 発売日から買うタイミングをうかがっていた。授業もリモートでなかなか家電量販店のある駅を通過するタイミングがなかった。発売日から1週間と1日たった11月27日。一人で病院に行く予定があった。正直2022年のお年玉を待たずに買うならこの日だと思っていた。前日の学校帰りに銀行に行き忘れたから土曜日手数料を取られてまでしてこの日の朝に銀行からお金をおろしてきた。銀行の手数料は引き出しとは別に手数料を現金でATMの口に入れると思っていた。残高から引かれるのか。勉強になった。

 その病院は事前予約制ではなく朝一番からの受付順だった。現金を下ろしていたこともあり番号をもらったときには100番台だった。2時間以上待った。その2時間の中で買うか悩んでいた。小さな病院で外のベンチに出たり中に戻って座ったりしていた。
2時間を過ぎたころ、「今日何のためにお金を持ってきたんだ。今日なら電気屋さんに行って多少遅い帰宅になっても混んでいたんだとごまかすことができる。」と考えた。(性格の悪さが出ている)
 あとは在庫だ。もちろん電気屋さんの場所は知っている。発売前にニュースでコロナの影響でスイッチが減産されていると聞いていた。クリスマスも近づいているため在庫がない可能性もあるので電話をかけた。はじめに電話に出られた方もゲームコーナー担当の方も希望の色まで聞いて調べてくださるなど、丁寧な対応でとても嬉しかった。ありがとうございました。ライトは各色10個以上、ソフトは100本以上あることがわかった。その入荷数から改めてポケモンの人気ぶりを実感した。
 春からゲーム欲が抑えきれなくなってきたため始めたポケモンGOのポッタイシもさっきエンペルトに進化した。ダイヤモンドパールのアニメのヒカリのポッチャマのコンテストが大好きだった。誰が何と言おうとはじめの一体はポッチャマだ。

 病院を終え電気屋さんに向かった。ゲームコーナーから離れた入口から入ってしまったようだ。久しぶりに来た店内で迷ってしまった。メインの入り口に向かいポケモン関連のポップを写真に撮った。コロナもあるため手早く売り場の引き換えの紙を取る。フィルムの方が悩んでしまったくらいだ。プレゼントを見る親子や赤と緑と白の装飾でクリスマスを感じた。久しぶりに季節を感じた。

 先述のようにレジで引き換え券をレジに置いた。売り場に実物はあったもののレジ奥の棚から現れたスイッチの箱とソフトの箱にドキドキした。お金を払い、店名の入った紙袋を受け取って帰宅した。

 それをこっそり家に持ち帰って自室の机の下の死角に隠した。
そして今日に至るまで1日30分、大きめの課題を提出した日や休日は1時間以上やっている。コソコソとバレないようにやっている。ポケモンのゲームをしっかりとやるのはほぼ初めてだが、こんな難しいものをちびっこや大人はやっているのかとびっくりした。「きりばらい」を取り忘れたり、ジムリーダーまでたどりつけなかったり。弟がブラック2をやっていたときのような攻略本がないことにも驚いた。実況やインターネットを参考にしてやっている。「きろばらい」をもらいわすれたことで来た道を戻ったりとこれはこれで楽しい。なによりも広大なシンオウ地方を自転車だけで走り抜ける主人公の脚力に驚いている。ちなみにある町からある町の位置を北海道に当てはめてグーグルマップで距離を出したところ174㎞、10時間以上かかる距離だった。あれ、冒頭のように難しく考えすぎたプレイになっていないか。

 今はジムリーダーデンジの手前である。とりあえず今は初心者ということもあり、確実にストーリーを進めるため、序盤からのメンバーかつネットでおすすめされていたポケモンとかつ好きなポケモンを入れた手持ち構成になっている。
 早く殿堂入りして好きなポケモンであえて種族値などもあまり学ばずに純粋に楽しみたい。待っててくれ、過去の自分。

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