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いけないルージュマジックの誕生(82年2月14日リリース)

81年秋にリリースされた坂本龍一のアルバム『左うでの夢』のレコーディングの際、その頃注目していたRCサクセション(きっかけは『シングルマン』再発運動か?)の忌野清志郎に作詞を依頼するも叶わなかった経緯がありつつ、資生堂・82年春のキャンペーンソングの相談を宣伝部から受けたプロデューサー牧村憲一は男も化粧をする時代というアイデアから当時の人気バンドでメイクをしていたYMOとRCに狙いを定め、まず近しい坂本龍一に声をかけた、前年「春咲小紅」(こちらは資生堂ではなくカネボウ)がヒットした流れもあり坂本サイドは了承

坂本龍一がボーカリストではないことから誰かとコラボ(当時の言い方であればジョイント)する必要があり、その意味でもRCの忌野清志郎を口説く必要があったが、RCサクセションは人気沸騰中であり、この大事な時期に清志郎が単独で他のバンドの人間とコラボする必要があるのかどうかのマネージメントサイドの懸念から交渉は難航、しかし最終的にはOKになり、顔合わせとしてRCの武道館初単独公演直後(さらにYMOのツバキハウス公演の翌日!)の12月28日に渋谷東映(映画館)で行われたオールナイトライブに坂本龍一が飛び入りしてRCと即興セッション、好感触の流れで年明けからレコーディング開始

お化粧ロックといえばグラムロックからの〜T-REXサウンドというヒントを得て、忌野清志郎/坂本龍一/仲井戸麗市の3人でセッションを重ね、あらかた曲の骨格が完成した後、坂本龍一がドラム/ベース/シンセその他を1人で演奏してレコーディング、その上に忌野清志郎のボーカルと仲井戸麗市のギターが加わり、相入れないと思われたYMOファンとRCファンの両者が聴いても違和感のないサウンドが完成

そもそも化粧品のキャンペーンソングのため、曲タイトルと歌詞の「いけない」にスポンサー側からクレームが出たが(「きれいな」等の肯定的なフレーズへ変更案など)、「いけない」を「い・け・な・い」とナカグロを打つことで説得

リリースは2月14日のバレンタインデー、82年のこの日は日曜日であり、自分はいつものように中野ブロードウエイ2Fの中野名曲堂に行き、今日発売されたYMOの坂本龍一と誰かがやってるシングルありますか的な買い方でゲットした小学6年生の3学期、RCサクセションの存在もあやふや、忌野清志郎って何と読むか自信がない始末、なんとなくそのようなものが発売することだけはサウンドストリートを聴いて知ったがうろ覚え状態、家に帰ってプレイしながらジャケを眺め、ローマ字表記のIMAWANOで改めてハッキリと認識、1ヶ月半後の4月5日にオリコン1位を獲得して当時の主要な音楽番組『夜のヒットスタジオ』『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』に出演(レコーディングは3人で行ったため、テレビ出演用バンドとしてドラムに鈴木さえ子、ベースに元チャクラの永田どんべい等が加わる)、『ザ・ベストテン』出演の際に演奏してる背景でキスシーンがあるプロモが流れたため、これがTV出演時に2人が生放送でキスをしたという誤解に繋がりつつ、そのインパクトでお茶の間に忌野清志郎の存在を認識させ、ここからRCのファンになったという世代は多く、「い・け・な・い」の直後に出たシングル「サマーツアー」で初のベストテン入りも果たし、結果的にこのコラボは最初懸念していたRC側に多大なメリットをもたらしたはずである

い・け・な・いプロジェクトもTV出演〜オリコン1位でもって完了と思われたが、5月5日に行われた雑誌『ビックリハウス』のイベント『ヘンタイよいこ・白昼堂々秘密の大集会』に出演、このプロジェクトの貴重なLIVEとなり、シングルの2曲に加えて、清志郎が同じく出演していた矢野顕子の「ひとつだけ」を歌って伝説となり、この後に続く忌野清志郎と矢野顕子のコラボのきっかけにもなっていく

ヘンタイよいこ新聞(『ビックリハウス』内の糸井重里による連載タイトル)、略して「ヘンよい」のイベントをもってプロジェクト完了と思われたが、実はまだ続きがあり、この年に坂本龍一がプロデュースした郷ひろみのアルバム『比呂魅卿の犯罪』(発売は翌83年)にて「夢中」という曲を忌野清志郎と坂本龍一で共作したのが、2人のコラボとしては最後であった

「い・け・な・いルージュマジック」資生堂の販促盤、ジャケにCMのコピー「口紅マジック」とあり、曲タイトルである「い・け・な・いルージュマジック」という言葉はCMでは使用せず、それは「い・け・な・い」が資生堂的には「い・け・な・い」からだろうが、だったら単に「ルージュマジック」でいいものの、わざわざ日本語に直した「口紅マジック」ってダサくないかと?

CM画面キャプチャ

 資生堂のキャンペーンソングのレコードにはつきものの配布用に作ったジャケ違い盤のB面は大抵キャンペーンソングであるA面のカラオケ、この場合もそうと思いきや、10年後の92年に脈絡なくリリースされた8cmCDシングルに収められた単なる歌抜きのカラオケ(純粋なカラオケ=純カラ)ではなく、歌メロをシンセで弾いたパートがダビングされたヴァージョンであり、ここでしか聴けない未CD化の貴重な音源である、この歌メロシンセが割とラフな印象で本当に坂本龍一の演奏か?と疑ったが、最近ネットでマスターテープの写真を見かけ、AB面2曲と各々のカラオケの計4曲加えて、< #インスト >と書かれていたので、これは坂本龍一の演奏によるオフィシャル音源と考えて間違いなさそうである

ジャケはCMに出演したモデル/タレントの津島要、この後に原田知世の主演第2作テレビドラマ『ねらわれた学園』にクラスメイトとして出演してたが、CMの印象と違い、割とひょうきんなキャラクターの役どころであった

88年6月10日に汐留PITで行われた小原礼スーパーバンドなるLIVEイベントに忌野清志郎がゲスト出演、さらにサプライズでオスカーを獲ったばかりの坂本龍一が飛び入りし「いけないルージュマジック」が演奏された、但し坂本龍一は本当に飛び入りだったようでキーボードが用意されておらず、ステージ上ではCASIOのデジタルフォーンを適当に吹いていた、「ヘンよい」のイベントを行けなかった自分が唯一体験した「いけないルージュマジック」のLIVEであった

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