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エッセイ「人間関係」

(3,100文字 読了まで約7分)

 頭の中に浮かんだことを書いてます。
だから、自分も何を書き出しているのか、ちょっとよく分からないです。

 何の役にも立たない。でも、それでいいと思っています。

 ちゃんりおハッピーランドへようこそ🌈
いらっしゃいませ〜🐸(え💦もう帰るの??)

#挨拶文を楽しもう


合う・合わないということ

 人間関係って、やっぱり「合う・合わない」ってあるんだな、と思いました。

 同じことをやっていたり、同じことを言っているのに、傷つけてしまって、そして傷つけられます。
 お互いがお互いを傷つけ合っていたら、それはもう、今の心の状態が、お互い合わないと捉えるしかない。
 私はそう判断しました。

 お二人とも私から見ると、とても気さくな方で、いい人だと思いますけれど、それは私が表面部分しか見れていないだけかもしれません。

 私がお二人から、同じことを言われても、全く気にならないですし、「そうなんだー」ぐらいの感じなんですけれど、お二人にとってはそうではない。
 お互いにお互いの言葉を、失礼なように受け取ってしまう。

 私はそこまで深くお二人のことを存じ上げてるわけではございませんから、お話を聞くぐらいしか出来ませんが、どちらが一概に悪いとは思えないのです。

 捉え方の違い、相手の言葉をどう捉えるか。売り言葉に買い言葉になって、お互いがお互いを傷付けてしまいました。

 こうなると、私としては、いったん距離を置いた方がいいよね、ぐらいしか言えないのです。

 また仲良くなってくれることを願っていますが、性格的に、合う・合わないというのもありますので、我慢する必要はないと思っています。

 でも、また元に戻る気もするけれど🤭


協力できること

 企画をなされるということは、とても大変だと常々感じています。
 私は、企画を立ち上げることは出来ない。
そんな能力もなければ、人徳もないと思ってしまう。

 しかし、私の1番の問題点は、皆様の記事を公明正大に読むこと、見ることが出来ないからです。

 本来、記事というのは、内容を見ておもしろいかどうかを判断するのが、私も望ましいと思っています。
 誰が書いたのかというバイアスをかけないほうがいいですし、争いや悩みごとの種になってしまう、私はそう感じています。

 でも、私の性格は、どうしてもその書かれている人が好きなので読んでしまうのです。
 ファンと言ってもいいと思います。

 私はその方々のファンなので、楽しく読める。そういう性格なものですから、公平に読むことが出来ないんです。それが出来る人、それをしようと志す人が、企画をされるには適任かと思っています。

 さて、今、初めて企画らしいことに挑戦なされている方がいます。
 私は企画をすることは出来ないのですが、楽しんでやってみようと思っている方の応援をするのは大好きなのです。

 悪いふうに書くと、私が企画者ではないから、純粋にその企画者の方を応援することが出来ます。
 私はそこに楽しさを見出せるタイプの人間なので、今、その企画に対して私は何をすることが出来るかな?と考えています。

 私が参加するだけなら、簡単なことなのですが、繋がりを持ってちょっとだけ広げたいとも思うのです。
 ただ、他のnoteクリエイターの方々のスタンスも考えて、そこを汲み取りながら、決して無理強いしてはいけません。
 無理やり行うと、企画そのものが楽しくなくなってしまいますので。

 参加型の企画は、とても難しいです。
 noteのクリエイターの方々は、基本、自分と向き合っておられる方々で、みなさんクリエイターなのですから、自分の創作物に時間もかけたいだろうし、尊重していきながら、うまく折り合いがつけれたらなと思います。

 そういうことを考えて、実行するのが好きなので、企画をやって良かったと思えるようなお手伝いが出来るnoteクリエイターになれたらいいな、とも思っています。


相談されることについて

 私は人としての形成が出来ていません。
私なんかが話を聞いてもいいのかな?と思うこともありますけれど、相談していただけることは、私が人間的にとても成長できる場をいただいているので、感謝でしかありません。

 ただ、しっかりとした回答は出来ていないように思えます。

 いまだに私の中で、悪いことをしたと思っていることがあります。

 私は当時20歳で、バイトのリーダーをしていました。バンド活動をしながら、夜中に働いていたのですが、その夜中の時間帯のリーダーをやっていました。

 理由は、大学生じゃなかったから。
 テスト期間がなく、長期間休むことがないので、というだけの理由でリーダーやってました。時給上がりますし、私としてはお得でした。

 そんな私に、夜中入っていた男の子(と言っても、私の2つ下なんですけど)が、相談にきました。

 要約すると、店長(女性)のことが好きになってしまって、告白するかどうか迷っているとのことでした。
 女性の店長だったのですが、年は28歳ぐらいで、その子から見て10歳離れていました。

 私は、話を聞いて、気軽に「店長、いいんじゃない?」と答えました。
 後日、付き合ったとの報告を受けて、良かったねって言ってました。

 それから、しばらくして、その男の子から話がしたいと言われて、喫茶店に行きました。

 すると、店長には他にも同じ店で働いてるバイトの彼氏がいて、二股か三股ぐらいかけられていたと、嘆いていました。

「店長が他に彼氏いたの、知ってましたよね?」
 私は、その子にそう言われました。私は嘘はつけませんので、「たぶん、いるだろうなとは思ってた」と答えました。

「なんで教えてくれなかったんですか?」と「店長、いいやんって言ってくれましたよね?」と言われてしまって、可哀想なことしたなって思いました。

 ただ、店長が店のバイトの男性と付き合ってるかの確証は無かったのと、本人が好きであれば告白してもいいんじゃないかな、と気楽に答えてしまった。
 その子はかなり純粋な子だったので、傷付けてしまったなと反省しました。

 私はその時、彼女がいましたので、店長を女性として見ておらず、店長が遊んでいようが何をしてようが、仕事をきっちりなされる人だったので、私は悪いイメージが無かったのですが、その一件があり、貴重な深夜バイトの男の子が辞めてしまいました。

 その事を思い出してしまうのです。
 相談を受けた時に、安易に返していないか、自分には関係ないことだからと思っていないか、そう自分に問いかけるようにしています。

 また、私が見ている側面と、相談された方が見たい側面とに乖離がある時があります。
 そのため、その方はどの側面を見たいと思っているのかを知らないと、答えを出しちゃいけないなと思いました。

 私を信頼してくれて、相談を受けて、結果、私の軽はずみな答えが元で、傷付けてしまった。

 それを思い返してしまうのです。


あとがき

 人間関係は、難しい。だけど、人間として生きていて、人間関係を完全に断ち切るのは出来ないし、私はやりたくない。
 合わない人とは、極力、距離を置くのだけれど、好きな人達とは繋がっていたい。

 難しいからこそ、自分1人では達成し得ないことがある。
 喜びや楽しみ、悲しみや辛さの共有でもあり、様々な体験をさせてくれるからである。

 それが人生の終盤になると、いい思い出になる。そして、そんな思い出という宝物を抱えて、人生を終え、新しい旅路に出たいと願っている。

 まだまだ波瀾万丈が続くかもしれないし、平穏が訪れるかもしれない。
 どちらに転んでも、最終的にはいい思い出になると私は信じたい。

おしまい

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