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青春時代の押し付けによる劣等感

キラキラした青春。太陽をその雫に貯めて光らせる汗を拭くタオルがマネージャーの手からゆったり渡される。下校時には自転車で二人乗り、夏休みには友達と海へ行ってみたり、バイトをしてみたりする。制服を着て同じ場所に同じ時間に同じ人と顔を合わせる。そんなきらめく青春。

煌めく青春をお手本にしてはいけない。大抵の人はグダグダでどうしようもない青春時代と呼ばれる不確かな未来に不安を持つ時期となりうる。青春にきらめきを与えるのはそれを見た大人たちが羨ましがって「美化」するのだ。青春時代と呼ばれる思春期を生きる当事者たちは自分がどのような人なのかアイデンティティを探すモラトリアム期に突入している。

もう取り戻せない「若さ」を羨むかのように青春時代の「美化」は始まり、CMやドラマ、映画、ドキュメンタリーなどマスメディアが大々的に報じる。漫画や小説などはこうなったら理想な青春時代ですよねというお手本のような展開が繰り返し連載される。

それに大人も子どもも踊らされるのはやめにしないか?というグッジョブな提案をしたい。キラキラした青春を提示された若者はその青春を生きれない自分の生活と比較して劣等感を抱く原因にもなる。大人はキラキラした青春を無責任に当事者へ押し付け、大人になったら二度と戻ってこない時期なんだぞと偉そうに言う。大人であるその時期も二度と戻ってこない。大人の方こそ今を一生懸命生きろ!と発言したい若者も多いのではないだろうか?

劣等感と大人からの押し付けはただでさえ成長と心の一致が図りづらい思春期の若者にとっては大きな負担でしかない。

では、理想通りのキラキラした青春を送っている人間はいないのか?いやいやいる!いるとも!間違いなくいる。全知全能、これからの人生に一片の曇りもなし、このままずっと幸せな待遇が待ち受けていると思っている人もいる!!しかし、はっきり言うならごくごく一部であり、96%の人間はほとんどそのキラキラした青春に劣等感となぜ自分はその4%に入れないのかという戸惑いとともに生きている。

また、キラキラした青春を青春時代に生きていないからといって大人になってからキラキラした時期を過ごせないというわけではない。

青春時代はこう生きないともったいないという大人には「人生は2度とない!自分の人生を一生懸命生きろ!」と反論してやろう。

青春の押し付けは反対するが、今という時間を一生懸命生きるのは大賛成である。10代であろうが40代であろうが90代であろうがその人が生きているということだけで体の内側の奇蹟を感じざるを得ない。

心臓は人間自らの意思でポンプとなり血流を運んでいるのだろうか?誰しも「自分が心臓を動かしています。意識的です」という人はいないだろう。

ではでは今日という一日も味わって生きていきましょう!

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