どんな仕事が自分にとって良い仕事なのか未だに分からない。
意味のない記事を書こうと思って今パソコンの前にいる。東京都知事選の泡もはじけ、強者どもが夢のあととなっているのが7月11日である。梅雨時期に思う肌に張り付くようなサランラップは今年はなさそうだが、毎日、自分の人生を考えている。
40歳 男性
年齢と性別を書いただけで犯罪を犯した容疑者のような響きを持ったのはいつの時代からだろうか?テレビが普及したのは日本では戦後~東京オリンピック1964年だからそれ以降の話のような気もする。個人情報保護法が出てきたのは平成15年(2003年)5月に制定され、平成17年(2005年)4月に全面施行だからそれ以降、名前を世に出すということに対してリスクが認められているということは近年の思考なのかもしれない。
人生を考えるとき、どんなことをこの限りある命を使って達成したいか。どのように暮らしていきたいかということを考える。また、ほとんどの時間を人は仕事に取られるということからどう生きるかはどのような仕事をするかということに終着駅を迎える。一部の突出した資産家に関してはあてはまらないが労働しなければ明日の一か月後の、一年後の、10年後の送りつけられてくる請求書に対応できないのが多数派である。
自分はどのような仕事を求めているのか。
その答えの一端はアメリカの教育学者であるドナルド・E・スーパーが提唱した「仕事に対する人の価値観を示す14項目」である。スーパーは産業組織心理学やキャリア育成において多大なる功績を残した学者であるが人間が働く動機は14個の項目に絞られることを発見した14個の項目は以下の通り。
ひとつだけの動機というよりも一番大切にしていることがひとつあってあと2つ3つと複合的に絡んでいる働く動機となっている方もいるだろう。自分の場合は「社会的交流性」をベースにして「美的追及」や「愛他性」も含まれている。だが一つに絞れと言われば「社会的交流性」となる。
仕事をしていないと強制的に他人と会う機会がなく、楽な部分もあるが仕事をして一人前といわれる世間の目に弱い自分としては仕事を通じて他者と交流して、仕事をしている人として認められた状態からプライベートでの交流をより充実したものにしたいという欲求がある。社会に染まっていない大人は生きづらいのである。まずは仕事をしていることで周りから認められて、そこから交流が始まる。
以上のような意味で「社会的交流性」が私にとっては一番の働く動機たらしめる。そこにせっかく働くのだから働く価値を持ちたい。人類に良い影響を与えるような、ふっと思いついたのはWHO世界保健機構である。彼らはスペシャリストが寄り合って人類がどれだけ健康に生きられるのか今後の人類のためにマクロな視点でその言葉は語られる。ただ、修士以上でないと採用されないと読んであきらめた。
WHOは例えばだが、自分の命を使ってこれだけのことをやったんだ。という実感が欲しい。それは良い方向に向かえばいいが、悪い方向に向かいうる可能性もあり、良し悪しなのかなと考えている。
40歳 男性
この響きには少し物悲しくも文字から加齢臭が漂ってくる。しかし、年寄りで人生をあきらめる必要はないという若さも持っている人間だということがわかるだろう。
もう、終わりだよ。
そういうのは、まだ早いと思っている。しかしながら、40歳になっても未だ自分はどう働いたらいいのかわからずに今の仕事をこなしている。もしかしたら、自分に合った仕事などというものは見つけられないかもしれないし、いつかそうだと思える日が来るかもしれない。そんな日を望みながら、一日一日が過ぎていく。
ではでは~。
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