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遠隔介護しながら日本一周したセミのはなし。

2024年1月20日、父が他界した。それと同時に、私の3年に及ぶ介護生活も幕を下ろしたのである。

え、介護?? あんた日本一周してたよね???

と驚かれる人も多いと思う。

そうなんです。2021年の夏から3年ほど、実父の介護を遠隔でやっておりました。一区切りついたいま、完全に抜け殻状態なのに仕事も育児も待ったなし状態なので、蝉の抜け殻が活動しているみたいだ。あっ、強めに触ったらパリっていっちゃうので優しくしてやってください。

我が家は、一人っ子家系なので父ひとり、子ひとりで相談する先もなかったので、まぁ色々と難航した。介護なんて50、60の人生上級者ステージの話と思っていたら、アラフォーでやってきましたね。体力あるうちでよかったよ。
おまけにうちには未就学児も居たので、いわゆるダブルケアラーというやつだった。詰んでるやん。

これは、育児と介護と夢で頭をパンクさせた結果、一周回って「日本一周しながら遠隔で親の介護もやっちゃった」変態ワーカーの記録である。

正直、これがベストな解だとは思えないが、一例として、面白おかしく、そして夢を諦めない実例として読んでもらえたら嬉しい。

ちなみに、父が亡くなる2週間前のnoteがこれ。日本一周終わり会社員に戻ったが、相変わらず世界各地でワーケーションに勤しんでいた。並行して父の介護も続いた。

介護は突然に。

父が認知症を発症した。ゴルフが大好き、仕事も退職後に元仕事仲間に誘われて新しい会社に行き、フルタイムで働く位に現役だったので、同世代の人たちよりも脳も身体も活動量が多く、健康だったと言って差し支えないだろう。70歳、高齢者界隈では「まだまだ若輩者」扱いされる年齢だったが、認知症になるときはなるのである。

若年でも発症する、前頭側頭型認知症という病。

前頭側頭型認知症とは、神経変性(特定の神経細胞に異常が起きる病気)による認知症の一つで、脳の前頭葉や側頭葉前方に委縮が見られることが特徴です。難病指定を受けており、他の認知症では見られにくい、人格変化や行動障害、運動障害などの特徴的な症状を示します。

ベネッセスタイルケア「前頭側頭型認知症とは?」より

補足すると、父の認知症は、よく聞く「アルツハイマー型認知症」ではなく「前頭側頭型認知症」だった。認知症の中では比較的若い年齢で発症する、という特徴がある。この辺り、知識がない私があれこれ書くと誤った記載をしてしまいそうなので、気になる方は各自検索してみてくださいな。
自分は大手の介護系メディアやこのサイトで調べてることが多かったが、概ねどこのサイトも情報が一貫していた。

父の場合は、以下の通り
・同じことを繰り返したい
同じものを過剰に集めたい
・思いついたタイミングでやらないと気が済まない
・すぐに激怒する
時間の感覚がなくなる
・身だしなみに無頓着になる
・人の反応を気にしなくなる(見えてない?)

発覚した時は中期くらいのフェーズだったようだ。「社会通念がなくなり、万引きなどをする」みたいなことがよく書かれているが、幸いそう言った事件はなかった。元の正義感がとても強い人だったからだろうか。
一番際立ったのは謎の収集癖で、実家を整理した時にマスクが100箱出てきた。店通り越して問屋ができるわ。

亡くなった祖母の衣装ダンスの全ての段にもある。恐怖

そんなこんなで、まあまあ深刻なのに笑える感じで介護はスタートした。

支援体制どうしてた?

恵まれていたことに、父は認知症発症時も社会とのつながりが続いていた。60で退職後に知人と小さな会社を作って現役で働いていたので、父の仕事関係の方達が色々とサポートくださったのだ。多くの人が「恩人のために」と色々と心を砕いてくれたのだが、あの方々がいなければ、私はいま元気に生活できていなかったと思う。

正直、行政サービスはほぼ宛にできなかった。そもそもの「介護認定受けてから来い」がスタンスなので、介護認定を受けないと先に進めない。提案はケースバイケースとまでは細やかではないし、結局縦割りだから、情報も支援も点。その点を結ぶのがケアマネだとおもうのだが、ケアマネは正直ガチャなので夢は見ない方がいい。最後にものを言うのは、情報の力と「助けて」と自分から声を上げられる勇気なのだ。

あとは「自分自身を正気に保つためのなにか」も必須だと思う。これさえあれば逆境もうまく乗りこなせるだろう。その「なにか」は、楽しいもの、安心する習慣、大切な人の存在、なんでもいい。1つだとそれに病的に依存してしまうので、いくつかあった方がいい。

我が家は、父とそこまで親密ではなかったこともあり、私が一緒に暮らすとお互いストレスが溜まってしまう(特にわたしが耐えられない)
なにせ父もプライドが高く、娘に介護されるなど到底許さないだろう。そんなわけで、一緒に暮らし面倒をみるとなると潰れてしまうのは目に見えていたので、早々にプロに任せることにした。

でもって、息子。我が家的には彼が未就学児なのが幸いした。予定通り日本一周したらいいじゃん。ついでにおじいちゃんに顔見せられるじゃん。こうなれば、夫に「ごめんね…」みたいな気持ちを持つ必要もない。むしろ一人生活を謳歌していただこう。天才か、私は。

仕事はリモートで対応可能なので、手続きや面会で福岡に行かなければならない時の予定調整もしやすい。息子との日本一周もなんだかんだで並行できた。行き来が増える事で無駄な時間やお金も使ったけど、これが父とわたしの自分らしさを維持する最善策だったのだ。

なんかもう、やりたいことやっちゃえ。で、走り抜けた。誰にでもおすすめできる事ではないが、結果はみてのとおり。まあ、病まずに楽しく生きてます。

タイムライン

2021年8月  はじまり。
父の周囲の人より様子がおかしいと連絡を受ける。なんとか初診。すぐには結果が出ず、認知症診断は11月になる。その間に車の運転をやめさせるために右往左往。父の会社の方と連携プレーで廃車に成功。
ちなみにこの頃、わたし日本一周スタート。息子と日本を回りながら福岡に父の様子を見に行く。なんだかんだで介護認定がでたのが12月。要介護1の診断だった。

2022年1月
訪問看護に来てもらおうと思った矢先、父が玄関で倒れているところが見つかる。内科に入院からの、精神科(認知症治療)に入院。トータル4ヶ月。
特に最初の1ヶ月は、せっかく飲み始めた認知症の服薬を止めなければならず、反動+入院の不安でとんでも着歴が続いた。

これが1日5〜6回、昼夜とわずある。ホラー。

面会もできないので、時々差し入れや手続きに福岡によりつつ、息子との日本一周は続いた。

2022年 施設と病院をいったり来たり。
父はマンションで一人暮らしをしていたが、一人暮らしは無理と判断。サ高住に移り住んだ。かなりの量の介護保険外サポートもつけた。めちゃくちゃお金をかけて頑張ったが、父の認知症は進む一方で、ついにサ高住での対応が難しくなってしまう。ちょうど12月が介護認定の更新だったため、再度判定を受けたところ、なんと要介護5という衝撃の結果がでる。2022年の12月には再度精神科へ入院をすることになった。病状が進んでしまったので、病院でコンディションを整えている間に、次の施設を探すのだ。

2023年5月 次のサ高住へ
なんとか新しい受け入れ先を見つけ、父の住まいを移した。だいぶ丸く、というより感情が薄くなった父が、新しい施設に移り住まないといけないと理解した時、「勝手に変えるなよ…」と、絞り出すように繰り返していたのが忘れられない。
思えば、父とまともな会話をしたのはそれが最後だったと思う。

2023年11月 人生最大の決断
新しい施設は面会予約制で、ほとんど枠が取れない。取れても何らかの理由でキャンセルを喰らったりして、夏の間はほとんど父と会えなかった。
9月、施設から父が誤嚥性肺炎で発熱した、と連絡を受ける。近い期間に繰り返し、このまま施設で死なれては困る、と病院に緊急入院した。検査した結果「嚥下機能が低下しすぎて、食事ができない」という結論が出た。いわゆる胃ろうにしますか?というやつだ。

私は「NO」を選んだ。

その時の自分は、とても冷静でとても冷淡だったと思う。いろんな人から本当に後悔しないですか?とカジュアルに胃ろうを勧められたが、絶対にNOだった。

医師は、余命は人によるが1ヶ月〜2ヶ月ではないだろうかと言った。

2024年1月 突然の終わり
無事年は越せたものの、年が明けてからはできるだけ九州の仕事を入れた。このまま2月までもつかな……?と思っていた矢先、できるだけ早く、一度病院に来てほしい、という連絡が入る。
面会した翌々日の早朝、父は息を引き取った。朝看護師さんが巡回に来たら著しくモニター数値が下がり、そのまま息を引き取ったのそうだ。

あとはもう、喪主だ遺品整理だ手続きだで記憶がなく、今である。親一人子一人だったので、全てを一人でこなし介護レベル葬儀レベルが鬼の如く上がった。

介護を終えて

そんなこんなで、私の介護は幕を下ろしたが、まあ諸手続きで気が休まらない。色々ブレーキしていた仕事も押し寄せてきたので、休む間がなかったが考える時間がないのは逆にありがたかった。

しかし、動きすぎてちょっと支障が出ている。なにせ、旅をしたいという意欲がなくてやばい。父が亡くなる直前は、これが落ち着いたらがっつりと旅に出ようと色々計画していたのに、まったく進める気が起きないのだ。
残っているのは、人間が人間たるカタチを崩していくのを見た、漠然とした恐怖の記憶と「いざという時自分の人生を自分で幕引きできる社会」に対する興味だ。オランダやベルギーの制度についてあれこれ調べ、今もことあるごとに思い出す。あまりいい状態じゃないかもしれないが、いつかくる死を身近なものとして捉えられるのも悪くないかもしれない。死はタブーではないのだ。

この3年ほどゆっくり考える時間が少なかったので、休みを多めにして頭の中をスッキリさせよう。まずは、今回の件を振り返りきって、この気持ちを成仏させようと思う。

いつか、やりたいことも親の介護も両立したい誰かの役に立つかもしれない。誰か挿絵を描いてもらってユーモア溢れる介護劇にしてみようか。ちょっと楽しくなってきた。

(たぶん続く)

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