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持たざる者へ(ダーティーハリー感想)

ダーティーハリー(1971)ドンシーゲル監督

上に立つ者と下に立つ者、監視する者とされる者。この対比構造が映像でうまくこなされていた作品。冒頭、犯人は建物の上からスナイパーライフルで殺害。その後、死体が発見され、主人公の刑事キャラハンは犯人と同じところに登り街を眺めるようなシーンから始まる。「街を眺める」行為が映画内でいくつか散見される。この冒頭だけではなく、警察が高いところに登り犯人を探しているシーンなど。また、それだけではなく署内にある街の模型からトランジションして実際に街に切り替わるシーン、これらから公権力の監視を想起させる。キャラハンが夜、犯人を探し双眼鏡を眺める中で市民の日常を盗み見るシーンはヒッチコックの『裏窓』を想起させるが、一方的な浴びせる視線を公権力、刑事であるキャラハンは持っている。そして犯人は自身より立場の弱い女子供を、建物の上や相手が見えないところから狙っている。金銭の受け渡しのシーンではキャラハン自身もこの一方的な視線に狙われる。

この映画は刑事キャラハンの持つ一方的な視線の加害を明らかにしつつ、この視線に自ら抵抗する映画だ。この映画では検事事務所や市長の部屋に向かうカットには下からの煽りでの撮影や下から上に向かうカットなど、より権力を際立たせるようなカメラワークが使用される。これらの権力からキャラハンは理不尽な目に合う。
ラスト、キャラハンは自身の警察バッジを捨てる。犯人の一方的な視線に抵抗し自身の持つ加害性を認め、さらに重なる権力への抵抗を示す。冒頭建物の上から街を眺めていたキャラハンだが、ラスト事件を片付けその場を立ち去るキャラハンをズームアウトさせ超ロングショットで締める。これは権力を捨てたキャラハンが初めて街と同じ立場になったことを意味している。
一つ一つ言ってったらキリがないくらい、映画全体カメラワークが優れている印象を受けた。
あと、クリントイーストウッドがはちゃめちゃにかっこいい。

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