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大企業と人生のハンドル

大企業で勤め上げること→それはほとんどの場合、自分のアイデンティティを大企業のブランド名に委ねることになる。

「私はxxx企業に何十年間勤め上げた」という一言が人生においてどれほど重要視されるのか。私はわからない。極めて不思議だ。

この100年ほどは、それが美徳とされてきた。
そして今の20代の若者もそれが
「まあまあ機能しているだろう」
と考えている。少なくとも自分にはそう見える。

でも僕は思う。
もう崩れはじめている。

そして大企業の方針や基本的な経営スタイルが危うくなって、建て直しに莫大なリソースと時間をかけている中で、スイスイと上向きに成長している企業ももちろんいる。

自分はなぜこんな大企業に入ったのか。
入る前から日系企業(金融)は今の時代に適していないとわかっていたのにも関わらず。
正直、日本の「大企業」というものが何者かわかっていなかった。だから身をもって知りたかったんだ。

「日本企業が終わっている」

それはメディアでも本でもよく言われていた内容だった。それでも、自分で見たり経験しない限りは、信じられなかった。戦後の日本を支えてきた企業たちだ、今後もまた何かやってくれるに違いない。

学生時代の自分は、そう考えていた。
日本の高度経済成長を支えてきたような企業に入社することは名誉なことであり、そこで得られるものは非常に貴重な経験とスキルなんだと思っていた。

でも違った。

大企業にもたれかかりながら生きるのは、自ら運転する車のハンドルを自動運転モードにするのと同義だ。

自分の行きたい場所を入力して、座って寝ている間に、到着する。
それで本当にいいのか。

自問自答すればするほど、ここにいたら危ない。そう思う。

私たちと同じ世代の若者は、親世代からの洗脳や親ストップ、そして洗脳された友人ストップがかなり酷い。

だから、なかなか大企業を辞めて新しいことに挑戦する人が少ない。
「ストップがかかるんだ」

ただ、自分の人生のハンドルを握っているのは、自分だけであって、居場所を変えられるのも、一緒にいる人間を変えられるのも自分だけだ。

実際に行動を起こしたり、物事を好転させるには、自分の意志やエネルギー、そして時には”孤独”になる必要がある。

真に自分自身を信じて、進む。
それは時に孤独だし辛いことも多い。

でも後になって振り返ると、誰にも通れない自分の道を進んできたという誇りや確固たる自信が自分の中に残る。



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