場面緘黙症と私
場面緘黙症って、知っていますか?
学生の頃、発表の時間はいつも憂鬱だった。
話そうとすると、第一声はかすれる。どもる。
喉に何かがつまっているような状態で言いたいことが出てこない。
中学では馴染めなく、いつもひとりだった。お弁当持参の日には、先生にウソの理由をならべて早退。
話せないのはなぜ?
みんなのように話ができないの?
と、ずっと考えていました。
声を聞かれるのが怖い。どもることで笑われることが嫌だ。大きな声が苦手。
色々と理由を考えてみるけど、わからない。
考えてもわからなかった。
当時、仲良かったクラスメイトもいじめ側に回ってしまった。
イジメられても言い返せない。しゃべることもできない。
中学校3年生になった。
クラスのみんなが怖い。
話したくない。
気がつくと人間不信に。それから引きこもるようになっていた。
心がいつも「なぜ!」と叫んでいました。
場面緘黙は症状によって次の5つのグループに分類されます。
① 場面緘黙傾向
② 純粋な場面緘黙
③ ことばに苦手がある場面緘黙
④ 複合的場面緘黙(発達的問題や心理的問題の合併)
⑤ 遅発発症の場面緘黙(学校での孤立やいじめによる発症が多い)
(※イギリスの場面緘黙支援の第一人者マギー・ジョンソンさんによる支援のための分類)
私の場合は、父親が威圧的だったから、怖くて話ができなかった。
父親とよく似た人とは話ができなかった。
家族とも普通に話せたのは母親だけ、16歳から23歳まで引きこもりで、20種類の職を転々としていた。
面接に受かったとしても、人とコミニュケーションがとれないから続かなくて、やめる日々。
23歳ぐらいまでは、特定の人としか話ができませんでした。(30人のクラスだと1人話せる人がいるかいないか
苦手なのは誰なのか。誰だと話せるのか。
色々な人と出会って、わかった。
私は、会話を積極的にする必要のない掃除の仕事についた。
スーパーの店内での掃除だった。
好きになった人が販売業だった。
仕事をしながらその人をみているうちに会話を覚えていった。
テンプレートな物を作り、真似をして覚えた。
これが私のきっかけだった。
これがきっかけになり販売業の仕事についた。
そこから販売用語や接客の仕方を独学で勉強しするようになった。失敗を繰り返すうちに話ができるようになっていった。
結婚して子供ができ、10数年が過ぎた。
息子が小学校五年生の時に場面緘黙症という言葉を知った。
私は場面緘黙症だったのでは?
と、思うと同時に、息子は場面緘黙なのではないか、と不安になった。
息子も、学校に馴染むことができず、不登校になってしまった。
高校入学前には、場面緘黙症と診断された。
場面緘黙症と不安障害の合併症だった。
今息子は支援学校に通っている。
毎日ではないけど。
外では話ができないけど。
買い物も1人でいけるようになった。
スローステップで外に出る回数を増やして、買い物が出来るようになった。
できるだけ不安を取り除きたい。
手伝ってあげたい。
けれども、
これからのことを考えて、「助けて」というまでは助けないことにした。
場面緘黙症。まだ正式に解明はされていない。
うつ病の合併症の可能性もある
だから、きっかけが必要。でも、きっかけと言っても難しい。
場面緘黙症と私は、一生、つきあっていく覚悟がある。
場面緘黙症とわたしは同士だから。
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