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06 飲んだくれ横町のワンシーン

「あ~~生き返るゥ!」

 ダンッと空になったジョッキを机に叩きつける。オレンジ色の照明がてらてら赤ら顔を照らす。二杯目。まだまだこれから。けれど頭はふらふら。ストレスで凝り固まった全身を伸び上がらせて重い疫病神を吹き飛ばす! しかも今日はなんといっても華の金曜日である。飲まなきゃ損損、さあもう一杯! 大将にダミ声で生もう一つと宣言すると遠くの方であいよぉと間延びした声が返ってくる。私の他にも客は三人。カウンターしかないこぢんまりとした居酒屋は私の行きつけだった。

「お姉さん、いい飲みっぷりですねぇ」

「わかりますか! 肝臓だけは強いんですよぉ」

 偶然居合わせた隣の二人組のサラリーマン達に声をかけられる。私の同じ赤ら顔。私もげっへっへと親父顔負けの下品な吐息で大笑い。サラリーマンは目を見開くが、それも本当に一瞬のこと。私とおんなじ顔で笑い合って肩をたたき合う。新しい出会い。また会えたらいいなと恋以外の純真な心でそう思う。

 これだから飲んだくれはたまらない。つまみの焼き鳥の串を楊枝代わりにしていると大将が新しいジョッキを運んできてくれる。

「今日も美味しく飲んでるねぇ」

「そりゃあ、華金ですもん!」

 がっはっは。大将とはもう古い仲だ。私が残業で疲れて道ばたで立ったまま気絶していたところに声をかけてくれたのがはじまりだ。大将の居酒屋で座らされ、自分の悩みやつらいことを吐き出すうちにすうっと胸が軽くなった。その時に飲んだ生ビールは一生忘れないだろう。人生何が起こるかわからない。自分の歩いていた道が突然崩壊することだってある。だから面白い。その時だけはブラック企業に就職して良かったと思った。

「いやぁ、私はこのビールを飲むために生きているのかも知れない!」

「それは言い過ぎじゃないのかぁ?」

「でもでもすっごく美味しいんですもん! おつまみも絶品だなぁ」

「お、それはもっとサービスしなくちゃなぁ」

 大将の本名は知らない。私の名前も大将は知らない。名前を知らなくても続けられる関係性がここにあるのだ。強面の大将と気兼ねなく会話する私を横目で誰もが見ている。さっきまで景気よく笑い飛ばしたサラリーマンすら会話の輪には入ってこないのである。二人で肩を寄せ合って別の話をしているみたい。まぁ、普通はそうだよなぁ。ふわふわした頭を無理矢理フル回転させていろいろ考えたものの、仕方ないからいいか、と楽観的な方向で落ち着いてしまう。

「大将、私さ」

「おう、もうおかわりか?」

 ハイペースに飲み干して半分くらいの水位になったジョッキを見る大将。違う違うと私は手を振ってふと思ったことをいってしまう。

「運命ってあるのかなって」

「お、どうした告白でもしたいのか?」

 ひゅうと口笛を吹く大将を軽く睨むとまたジョッキを傾ける。苦くて、ぱちぱちした金色の水。飲めば飲むほどまずくなるのに、どうしてだか飲むことをやめられない。魔法の水だった。私は回らない頭のまま研がなかった言葉を垂れ流す。

「偶然とか運命とかってさ、本当にあるのかなぁって思ったの。だって、自分ではない何かに突き動かされているって事じゃん。それで誰かと出会うのってすごくロマンチック。でも、運命の相手って二人同時にびびってくるのかな。そんな確率ってあるのかな」

「なかなか難しいこというなぁお前」

 腕を組んだままうーんと頭を悩ます大将。ワイワイガヤガヤと賑やかだった店内がいきなりしーんと静まりかえった。みんなが私の話を聞いていた。オレンジ色の照明もなんだか薄暗く感じた。どんよりと、空気が下に溜まる。私、そんなに難しこと言ったっけ。

「そりゃあ、恋の電撃ってやつよ、お嬢ちゃん」

 カウンターの端っこからぼそっと声が聞こえた。サラリーマンの陰に隠れてちびちびと日本酒をなめている壮年の男性。ぼそっとした声だったのに、私のとこまで声が飛んできた。恋の電撃。それは初耳の単語だった。

「恋っていうもんは一目でわかる。ビビっとくるもんよ。だから、それを人は運命って呼ぶんじゃあないのかね」

 真っ白なひげを蓄えた彼は掛け軸に描かれているみたいな仙人みたいなひとだった。そんな人にぱちりとお茶目にウインクされたらたまったもんじゃない。びびびっ。恋の電撃。いや、違うか。

「おじさん最高! 今日はすっごくいい日になったよ!」

 私はただ目一杯破顔して自分のジョッキを掲げることしかできなかった。

 今日という日に、乾杯!

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